ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

けっこう真剣な悩みだったりします。

「オネェの恋のはじめかた」by 真木たなひ まんがタイムオリジナル 2022年10月号p159 芳文社

 

…いえワタシ自身はゲームってほとんどやらないんですけどねいまは。

悩みになってるのはウチの子どもたち、特に「下のムスメ」です。まるっきりゲーム中毒です。寝てる時間以外ほとんどゲームやってんじゃないかな、監視してないので分かりませんが。

ゲームってやりだすと止まらなくなる、時間があっという間に溶けて消えてしまう、そういう危険物だと思います。ええイマドキの親世代がもつ「偏見」かもしれないとも思いますけどね。

でもあの「四六時中ゲーム端末に触っている」状態が異常ではないと受け入れるには、ワタシはジジィ過ぎるのかもしれません。別にアンチゲームなつもりはないんですけども、それでも「自分をコントロールできてない」と思われる没入ぐあいを見ていると不快感さえ感じます。感じるときがあります。

とはいうものの、あの子どもらの姿を見るときに「じゃあ自分たちはどうだったのか」を思い返すと、また考えさせられる面もあるんですよね。

ワタシらの場合、四六時中…というと「音楽中毒」だったと思います。あの「ウォークマン」のおかげで、ヘッドホンとソレさえあれば、いつでもどこでも「好きな音楽に溺れていられる」というヤツです。

あのころ、大人たちには「耳元で大音量のロックとか聴いてると脳が振動でバカになる」「勉強するときぐらい外せ。静かな環境じゃないと頭に入らないはずだ」「そんなに四六時中音楽を聴いてなにが楽しいのか」などと、ホントいろいろ言われました。ダジャレになるんですが、チェッカーズがスキだと言うと「あんな知恵つかず(チエツカ-ズ)の音楽のどこがイイのか。聴いてると知恵がつかんぞ」と…まあ当時なりのオヤジギャグですね(苦笑)

一番コタエたのは、個人的に尊敬していた上智大学ピーター・ミルワードさんが、自著で「ロック聞くべからず」と書いていたことです。「ああいう音楽を大音量で聞いていると、こころのどこか大事な場所がダメになる」というようなコトを書いてたんですよね。ショックでしたねーアレは。

さて、ではいまのワタシたちはどうなんでしょうか。あのころに大人たちから言われたとおりダメになってるんでしょうか。ワタシはそうは思いません。ちゃんと「いまの時代なりの大人になっている」と思います。四六時中ヘッドホンかけてることもなくなってますしね。…いやアレコレ言ってきた大人たちの目に、いまのワタシたちがどう映っているかはわかりませんけど、それを言ったら「あんたらはどうなん?老害になってへんのんか?」という気持ちになりますもんね。

そうやって自分たちのコトを振りかえると、いまの子どもたちのゲーム漬けを「ただただ大人目線≒上から目線で糾弾する」のは、たぶん違うんじゃないかな。きっとこの先はそういう経験も役に立つ時代になっているはずだし、中毒状態だっておそらくは長くは続かず脱しているんじゃないかな。ワタシはそう考えるようにしています。…スイマセン「感情的にはまだまだ受け入れられてない」のは事実ですけどね。だから悩みなんですけどね。

…脳への影響?ああ、それは確かに心配ではあります。その手の本、よくいう「スマホ脳」とかですよね。でも世の中新しいモノに「ヌレギヌ的な悪要素」をかぶせることもよくありますから、できるだけフラットに注視することが大事かと。ちょっと違うかもですが「携帯とかの電磁波がどーのこーの」っての、一時期ほど言わなくなったじゃないですか。脳腫瘍ができるってあれだけ騒いでたのにね。ま、そういうことです。

 

 

予期せぬ長文になっちゃいましたがご容赦いただき「オネ恋」。個人的にこの作品で初ヒトコマが九龍くんだったこともあり、今回の彼のオハナシはちょっと考えることが多かったです。まあ確かにお金は無いよねー>高校生。

考えてみると、キャラ配分はとてもイイ作品なんですが、そもそもくるみんと九龍くんのなれそめ(?)とかってどういう感じだったんでしょうか。出席番号(五十音)で接点があったのは以前出てましたが、ゲームばっかやってるタイプの彼と、オネェなくるみんとでは…かなり違うよねホント。

そして一番コワいキャラかもしれないなぎなぎ(笑)。いわゆる「海面下が異様にデカイ氷山みたいなキャラ」といえるでしょう。こちらはみなもんが自然体で接して仲良くなった感じ。なんとなく想像できるね。

この作品って、キャラの過去とか「描くところ」と「あえて描かないところ」があって、ちょっと推理ゲームっぽい部分があります。想像力回路を刺激される感じがしてスキなのかな。