ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

確かに…独身時代って生活自体がガサガサ・ギスギスしてる感じがありましたねぇ。

「串カツ」by なぐも 俺流!絶品めし vol.41 p15 ぶんか社

 

「じゃあ恋人をつくったり結婚したりすれば潤うのか?」といえばそうとも限りません。楽しいこともあるけど、意外と「消耗する原因」になることがある。そんな気がします。ええワタシの経験ではそうなんです。

簡単に正解がでるものではありませんが、中年になってみて気付いたことは、若いうちは「自分自身に若さという潤いが詰まっている」から、周りに潤いがあっても…潤いに満ちた環境にいても、それを実感できないんじゃないか、ということです。

いきなり宗教のハナシになっちゃいますが、仏教に臨済宗という宗派がありまして、その法事とか仏事では「坐禅和讃」というのを皆で唱えるんです。これはお経の日本語版みたいなものなんですが、そこに「たとえば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり」という文言があるんですよ。

水の中という潤いまくりの環境にあるのに渇きを訴える…これは一体どういうことか。ワタシなりの解釈として「自分の中も潤いに満ちていると、浸透圧が等しくなって、外からの潤いが入ってこない。ゆえに乾いているような錯覚を起こす」というのではなかろうかと。いえまあワタシなりの…ね。

それが、年齢を重ねるにつれて、自分の中の潤いが少しずつ減っていき、その分外からの潤いが流入するのを感じられるようになる。錯覚かもしれないけど、潤いの中に浸っているような気持ちになることが増えるんですよね。

そして、ワタシの場合はこれからになるんですが、自分自身も周りも、徐々に潤いが減っていき、枯れていく。でも枯れていくなりに「わずかな潤い」を大切に感じることができる。そんな幸せの中で、やがて枯れ切ったところで「死」というのが…それが良い人生というヤツなのかなぁ…とか思ってます。

 

 

よく分かんないハナシをしてしまいましたが、今回ヒトコマお借りしたオハナシは、潤いを求めるオトメな等々力さんと部下の大原くん。2回目の登場です…あれ3回目?ともあれ、前回は等々力さんのひとり焼肉バナシでしたが、今回は2人で一緒に串カツです。

色気のないメニューですけど、生ビールとの相性は焼肉に負けてませんよね。そしてちょっとしょっぱいオハナシだった前回にくらべて、大原くんのおかげでほっこりイイ感じです。いいねぇ、先輩想いのイイ後輩クンだねぇ。

串カツってウチではやらないし、いま住んでる地方ではお店も無いので、とんとご無沙汰してますね。スキといえばスキなんですけど、わざわざ遠出してまで食べないかなぁ。近くに無いからなぁ。

読んでて「あー食べたいーっ」と思ったのはレンコンです。前にも書いたかもですが、大阪ではよく食べてたのに最近はぐっと機会が減ってます。あーレンコンの串揚げー、旨そーだなー(笑)。