ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

「気遣い」と感じるかはともかく、自分に作ってくれたごはんを残すのはかなり苦手です。

「まちカドまぞく」by 伊藤いづも まんがタイムきららキャラット 2024年4月号p111 芳文社

 

ワタシの場合は、結婚して義両親と同居していたころに「残すと申し訳ない」という「気遣い全力キャッチ」のせいで、半年ほどで15キロ太ったんですよねー。そして元の体重にはン十年かかっても戻せないという…(嘆)

「○○してもらってるんだから」という気持ちは、決して間違いではないんでしょうけど、それもほどほどにしておかないと、相手からの気遣いによる「作用」が自分にとってのマイナスになりかねないのは事実だと思います。

ただ、食べ物を残すかどうかのハナシになると、気遣い云々はさておき「残して捨ててしまうくらいなら…」という気持ちが先に立って食べちゃうんです。ええ胃袋に115%くらいなら無理やりにでもね。

さすがに戦後の食糧難育ちではありませんよ。でも「お米には八十八の神様が…」なんて時代でしたから、食べ物は絶対に粗末にしたくないという刷り込みがかなり強力にされています。あ、八十八の神様ってヤツは子どものころは聞いた覚えが無いんですけども。あれって「米どころ」の方面でよく云うのかな。大阪ではそこまで言われた記憶がないんだよね。

あと「気遣い」というヤツでやっかいなのは「する側は大きく」「される側は小さく」量ってしまいがちなトコです。すごく気遣いをしてるつもりでも相手はそう見てくれない、大して気遣いをしてくれてないと思っていると相手はすごく気を遣っている(つもり)という「ギブ⇔テイクの不均衡」。たぶん「均衡を取ろう」という考えだと解決することはないでしょうから、個人的には「無視されてもスルーされてもゼロ評価でも構わないくらいの気遣い」をするのがベストかなと。例えがヘンですが「1万円分のお祝い」をもらっちゃうと「半返しで5千円くらいの何かを…」とか考えるけど、いっそ「千円のお祝い(+お返し無用のヒトコト)」だと「…まあじゃあいいかありがとうだけ言っときゃ」ってなるよね?そういう感じの「お返しのいらない気遣い」がよろしいのではないかなー。いやまあいまはそう思ってるけど、ポリシーというほどでもないからブレブレだったりしますけど(笑)

 

 

ちょっとハナシがとっ散らかってしまいましたが「まぞく」。いつぞやの誰何みたいなコワイのが出てきちゃったよ苦手なんだよコワイのは…。

多少コマの大きさこそ変えてるけど、ぶち抜きとか大ゴマを使わないところが、作者さんの表現のスキなところ。アニメ化しても原作の緩急とかが生かされているのは、原作自体の表現のセンスがイイというのもあるかもしれない。

シャミ子がいつもよりよく泣くのは、このあとの桃とのカラミにつながる伏線なのかしらん。いやそういう「創作者独特のセンス」を持っているといえないワタシが考えるレベルじゃあ収まらない展開になるんだろうねきっと。あと…牛さんの名前、アンガス?ビーフ?佐田…サタ、杏…あん?サタン?ああ、頭があたまがぁぁぁ…(ここで途切れている