ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

「学校に刃物を持ってくるな」とか言いながら「鉛筆削れない不器用な子が増えた」って矛盾してるよね。

「おとぼけ部長代理」by 植田まさし まんがタイム 2024年4月号p37 芳文社

 

いきなりハナシが飛ぶんですが、京アニ事件でガソリンまいて火を点けた犯人は、たぶんあんなに激しく燃える(爆発する)とは思ってなかったんでしょうきっと。文字通りの「子どもの火遊び」を経験していないと、火の怖さを肌感覚で知らずに育ってしまうんじゃないかな。もちろん火遊びでも火事になることがあるわけで、そういう面でキビシく取り締まるのはやむを得ないともいえるのかもですが、子どものうちに「痛いおもい」「熱いおもい」「苦しいおもい」をしていないと、将来それがとんでもないマイナスになりかねないと個人的には考えています。

熊のコドモがかわいいからといって、ぬいぐるみ感覚で飼って可愛がって(甘やかして)いると、大きくなって「躾けもできてない」「飼い主の命令もきかない」「そのくせチカラは強く牙も爪もスルドイ」という脅威のカタマリに成長し、手が付けられなくなるようなものかも。いやちょっと違うかな。

ともあれ、筆箱に「片刃カミソリのような鉛筆削り」あるいは「工作刀」、ワタシの世代だと「肥後守」などがフツーに入っていた頃は、刃物の扱い方はイヤでも身についていた気がします。みんなが刃物を持っていると、冗談でもケンカで刃物は出しません。出さなかったと思います。

それがPTAのせいか日教組のせいかは分かりませんが、教室に1台ずつ電動鉛筆削りが置かれたり、刃が表面に出ない手回し式しか使わせなかったりするようになってから、子どもが「刃物で同級生を傷つける」ような事件が起こり始めたような…まあ当時子どもだったワタシの私見ではありますが、そう感じるのです。

脱線しますが、政治家に「聖人君子のような身綺麗さ」を求めるようになったのも、あの頃からの学校教育に端緒があると、個人的には思ってます。そりゃあ聖人君子であることが悪いとは言いませんが、政治はあらゆる面で「かけ引き」…ときに「謀略」さえ必要で、ある意味「聖人君子であることより大事なもの」があるはず。そういう点で、昔に比べて「無能な聖人君子」が政治家に増えている気がします。いや間違いなく増えています。

 

 

…やべぇ何か敵を作りそうな文章書いちゃったかな。まああえて消しませんが、ダメ押しを言うなら「キレイごとばかり言う政治家」は信用しません。ええ要はそういうことです。

さておき「おとぼけさん」。子どもにナイフで鉛筆を削らせるおとぼけさんは、父親としてとても良い教育をされていると思います。マンガとはいえ、こういう考えをキャラに持たせるのってイイよね。

ただ…ネタバレになっちゃうんですが、今回のオチの「鉛筆の芯でクサリをつくる」というの、以前にもどこかで見たような気がするんですが、気のせいでしょうか。全然思い出せないし、読み返してるとそもそも植田まさしさん自身が過去作でネタにしてたようにも思えてきてしまい、アタマがぐちゃぐちゃになってしまいました。うーむ、気のせいなのかなぁ。確かにどこかで読んだような…デジャヴ?