ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

まったくもって「昭和のモノづくり」の真摯さには頭が下がる思いです。

「秘密のお姉さん養成ノート」by トフ子 まんがタイム 2023年10月号p109 芳文社

 

二十一世紀で令和な現代にはそぐわない考え方だとは思いますが、昭和って「より良いものを作ることが製作者の矜持」だったんですよね。つまり「コスパからモノづくりをはじめる」のではなくて「そのモノが負う役目を達成するために必要なクオリティ」からモノづくりをはじめていたと思うんですよ。

だから「コストをギリギリまで詰める」という考えじゃなくて、大事なのは「求められるクオリティを確実にクリアすること」だったし、そういうモノには正当な対価が(少なくとも平成のデフレ期のようなことはなくて)払われるのが当然だった…私にはそういう記憶があります。

そして「モノ(機械)は必ず壊れる」わけですから、当然のように「修理することを考えたモノづくり」もされていましたよね。やむなく「パーツを交換するしかない」ときでも、そこにはパーツ交換の「作業を前提とした設計or組み上げられ方」があったように思えます。

それが、気付くと「壊れてもかまわない」「修理できなくてもかまわない」という考え方…「壊れたら新しいのを買ってもらえるから」みたいなのが製造業にもみられるようになったと、私には感じられます。「修理なんて儲からない」という「コスパ主義」は、ある意味正しいのかもしれませんが、どうしても心の底に「…いや、そういうんじゃなくないかい?」という思いがあるんですよね。

もちろん、そこには「使う側」「買う側」の堕落(?)も絶対にあるわけで、最近は「性能はどうせどれも似たようなもの」だから「とりあえず安い方でいいや」という傾向が顕著だと感じます。もちろんコスパは大事ですから、一概に良くない傾向とも言えないのですが、それにしても「とにかく安く」というのはやっぱり「…いや、そういう(略)

そうそう、いつからか家電には「長期使用製品安全表示制度」というのができていて、洗濯機とかには本体に「設計上の標準使用期間○○年」みたいに書かれてるんですが、あれってどういう経緯で始まったんでしょうかね?推測ですが「消費者側のヘンなクレーム」に困ったメーカー側がやむなく対抗措置として考えたんじゃなかろうか…などと思っちゃうんですよ。邪推ですかねぇ…?

 

 

…ちょっと脱線しはじめたのでここらで「お姉養成」。いいなぁ髪型やヘアアクセサリーでイメチェンって…(スキンヘッダーのつぶやき)。

まあオトコはヘアアクセサリーってあまり縁がないんですが、昭和のころに流行ったのはバンダナですかね。…ええ、いまじゃ「ダサさの象徴」「オタクのトレードマーク」みたいになってますけど、あのころ…80年代は浜田省吾とかガンズのアクセルとかがカッコ良かったんですってばホントですってばいやマジですってば(笑)。

ともあれ、服のカブりと同じくらい髪型のカブりってのも女性にとってはアセるものなんでしょうか。なにげにアセって髪をほどく主任さんがなかなかツボったりしました。

そんな主任さんがフィーチャーされてる表紙も好評な2巻が発売中の本作、次はどんなネタでくるのか、毎回楽しみです。