ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

劇伴っぽいことは一度だけ、アコギ1本でやったことがあります。

「音のレガート」by すいと まんがタイムきららフォワード 2022年6月号p407 芳文社

 

あくまで「~っぽい」ことだったので、劇伴についてエラそうなことは言えませんが、いい経験だったとは思います。

舞台上手のカゲにスタンバっていて、演奏するときに上手スミに出てくるというやり方だったんですが、あまりシビアなタイミングとか要求されることもなく(そういう感じではなくBGMっぽい)なんというか…エンドロールのバックで流れる音楽を生演奏で聴かせるような手法でした。

オペラやミュージカルだと、いろいろシビアな要求があるんですよね。タイミングはもちろん、音量もテンポも。そして「劇伴」よりは「音楽がよりメインの位置」になるので、役者の演技や演出とのバランスというか「かけ引き」もあるようです。いえそういうのは経験が無いのでよくわかりません正直なところ。

ともあれ「シビアさと柔軟さの両方を高度に融合させる」必要があるので、あの経験は自分の中では大きな財産ではあります。

ちなみに、そのときの音楽もオリジナルで作曲したのですが、あとあと気付いたのが「当時よく聴いていた曲のコード進行」とかなりの部分が重なっていたんですよ。あれ、気付いた人は「パクリじゃん」って思ったかな。

もちろんパクったわけではないのですけど、糾弾されたら言い訳できないレベルで似てました。なので、よく「パクリじゃん」と言われる案件についても、個人的には「似てはいてもパクってない」と信じられるようになりました。そういうもんなんですよ「創作する」ってことはね。

 

 

さておき「音レガ」。前回(4月号)からヒトコマ借りた方が良かったかな。でも本番のコマの方が説得力あるかな。まあどちらにしろ「劇伴に挑戦する」アンサンブル部の姿勢や善しという感想です。

オケピットのように「舞台を背に、観客側を向いて」劇伴をやるための仕込みは、前回のお話で出てきましたけど、実際には「指揮者無しで演技演出に合わせて演奏する」のって相当ムズカシイ気がしなくもないですが…いえ勝手なアレですけど。

そういうある種の御都合展開も含めて、今回の文化祭でのアンサンブル部のお話はとても良かったと思います。なんだかんだで柚季に負担がいくところなど、ちょっと心当たりのあるリアリティを感じたりね。

さてさて、次回は音の祖父がらみのお話のようで、どういう展開になるか楽しみです。