ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

自然相手の撮影は「仕込み」や「下ごしらえ」が大事です。

「しあわせ鳥見んぐ」by わらびもちきなこ まんがタイムきらら 2023年5月号p22 芳文社

 

鳥を狙って撮ることは、もう30年近くやってませんが、山とか風景を撮影することはいまでもたまにあります。ホントにごくたまにですが。

夏の山の撮影って、冬に始まるんですよ実は。冬の「葉が落ちて枝だけ」になった樹々の中を縫って、ここぞという撮影ポイントを探すことが「一番大事な仕込み」なんですよね。

そして、そういうポイントを見つけたら、そこの地主さんか関係者(役場とか)にアプローチします。「これこれこういう者で、こういう山の写真を撮りたいのですが、今回とても良いポイントを見つけたところ、お宅さんの土地になるようなのでご相談を…」と話をもっていきます。

で、何を話すかというと「申し訳ないのですが、枝を少し切らせていただけませんか」とお願いするんです。そう、夏になると「葉っぱが茂って撮影の邪魔になりそうな枝の除去」をさせていただく。その許可をいただくんですね。

よほどのことがなければ、門前払いということは無いです(…いやイマドキは案外うるさいかもですが)。丁寧に話をすると大体了解してくれますし、人によっては「チェンソーあるから切ってやるよ」なんてことも…あ、私はチェンソー使えないのですけどね。

そうして絶景ポイントを押さえたら、あとは夏までの間にときどき様子を見に行って、枝打ちやら下草刈りやらをするんです。

夏の山の撮影は「早朝、雲が出る前が勝負」ですから、3時といえばスタンバイです。空振りもありますし、他の仕事のスケジュールもあって、ベストなタイミングで撮影できることは…そうそうありませんけど。

太陽の向きやら山の方向やら、いろんな要素を分析しながらの撮影になります。標高によっては雲海のような朝もやがイイ演出をしてくれたり…そうそうありませんけど。

デジタルになる前、フィルム時代は「現像するまで分からない」という「まさに勝負」でした。メモリーと違って「タマ数に限りがある」わけですし。正直、私の撮った写真で「これは会心の出来」と胸を張って言えるものはありませんでした。とりあえず写っているってだけで…。

でもその「とりあえず写っている」ということが、どれほど大変なことか。これは「写真を本気でやってない人」にはたぶんわからない。わからなくて当然だと思ってます。いや、どんなジャンルでも「本気で成果を出そう」とすれば、きっと「大変なことを乗り越えなければいけない」のかもですけどね。

 

 

なんかキリがないのでここらで「鳥見んぐ」。このミサゴの撮影の苦労話を読んでついつい語ってしまいましたが、動く(飛ぶ)ものを相手にするのって、もはや一種の「賭け」みたいなところもあるんでしょうか。もちろん「仕込み」「下ごしらえ」はできるだけやるんでしょうけど、結局「ここで勝負!」みたいな思い切り(≒他の切り捨て)ができないと、いい写真って撮れないんじゃないかな。

とあるプロの動物カメラマンの方と、写真ではないところでお付き合いがあるんですが、やはり「待ち」のベテランなせいか、写真以外でも「リラックスする(力を抜いて待つ)のが上手」な感じがあります。岬ちゃんも、そういう「リラックス」のテクニックを自然に身につけていくんでしょうねきっと。

「見えないところでの数々の努力」というヤツが、やがて撮影への「当り前のひとつ」になるころには、おじいちゃんに並ぶ名カメラマンになっているでしょう。そういう「登場人物の未来の姿」が思い浮かぶ作品は…この作品もそうですが…きっと「良い作品」なんだろうなと思います。そんな気がします。