ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

価値のゆらぐ周期が近年とみに速くなってきてる気はします。

ゆゆ式」by 三上小又 まんがタイムきらら 2022年8月号p78 芳文社

 

言葉でいうと「ドラスティックな変革」とか称される価値の逆転なんかが、気付くとケッコウ多用されてたりしますからね。…いまだに「ドラスティック」というワードがピンとこないのも正直なところですけれど。

大金持ちがあっという間に一文無しになるのもコワいですが、個人的には「当たり前に価値あるものだったのに、気付くと何の価値も無い…それどころかマイナスになってしまう」というのが一番コワいかもしれません。

社会通念とか道徳的なものにありがちな気がします。太平洋戦争以前と以後での変化がもっとも近いものでしょうか。戦争に負ければそれまでの「権力者」は一気に追い落とされますし、彼らが創りあげた「社会の価値観」も否定されるわけですから。

ただ、そこまで大きなものではなくても、価値観の転換は特に最近多くなっているんじゃないでしょうか。

一気にミクロな話になりますけど、音楽もそうですよね。クラシック音楽からポピュラー音楽にメインストリームが移っていき、そしていまの若者は「ストリーミング」で一層手軽なものとして音楽を楽しむ。正確ではないかもですがそんな感じです。

ちょっと前、ネット上で「いまの若者はギターソロをトバシて聴く」というのが話題になりました。私も「マジかー」と思ったのですが、考えてみればクラシックの交響曲だと一楽章15分でトータル1時間は当たり前。それが20世紀半ばの若者には「長くて退屈で何がいいのか分からない音楽」だったわけです。ましてポケットスコアを読みながらクラシックを聴くなんて「もはやフリーク(変態)」だったと思います。

どんどん価値観が変わっていき、かつての「価値あるもの」がその価値を失って消えていく。…ああこれはホントにコワいぞマジで。

ただ、そうは言っても「価値を認めていた世代」はまだ生き残っているし、たとえフリーク扱いでも「その価値観を継ぐ者」は生まれる気もします。社会全体としての「そのものの価値」が低下しても、やはり「目利き」が存在し続けて「守るべきもの」を後世に伝えてくれる…楽観的過ぎますかね。

私が研究していたヴァーグナーの作品なんて、仮に現代の音楽シーンに誕生しても、その価値は認められないと思います。それでも「現代音楽」というジャンルがクラシックに存在していますし、いまも(古いクラシック音楽とはずいぶん違うにしても)新しい交響曲などが生まれています。「ストラヴィンスキー?古いのがスキなんだね」なんて言われる日が来るでしょう、きっと。

 

 

そんなヨタ話と言われそうなのはさておき「ゆゆ式」。タイトルコマのおかーさんがなにげに高引力。身長それなりにあるので学生のころバスケやってそう。あ、でもインドア系なんだっけ?

お金がらみになるといつものクールさがどこかへ行っちゃう唯さん。たぶん株とかやっても「こんなにウマくいくのはおかしい。ちょっと利食いして様子見よう」ってなりそうです。いやそもそも株とかやらないかも。堅実に「元本保証で少しでも利息のいいところ」とか探すタイプかな。

それにしても毎回毎回「安定のゆゆ式空間」です。いまちょっとネット見てたら、なんと「休載ゼロ」らしいです。ホントかーマジかースゴイぞー。

いま時点で単行本は12巻、今年は13巻が出ますかね。来年には15周年になるので、きらら連載作では「あっちこっち」に次いで長寿作品になるはず。休載無いのでたぶん一番になるかも。この調子で目指せ「きらら系最長寿」ですね。期待してます。