ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

感動的なシーンにはあまり耐性が無い方ですワタシは。

「今日の授業は恋愛です!」by つみきつき まんがタイムきららMAX 2022年11月号p198 芳文社

 

映画のようなドラマチックなシーンが、現実に目の前で起きたら、たぶん耐えられずにその場から離れる気がします。ええ実際そういうこともありましたね。

シリアスもドラマチックもですが、あまり「感情を揺さぶられるのは」得意じゃないです。得意な人はいないかな。でも「感動的な映画とかで泣くのがストレス発散」というヒトいますよね。ワタシはできないんですよそれ。

まあたぶん悪いことじゃないのかもしれませんけど、強い感情の昂ぶりって負担が大きすぎてね。オーバーヒートしやすいのかもね。

 

 

今月のMAXの「最終回3連発」から「今日恋」。何度か書いてますが「ワタシが最近面白くなってきたなと思うと終わってしまった」作品のひとつになりました。最後の半年の展開は良かったのですが…残念。

「次回作にご期待」は柱に書いてませんでしたが、勝手に期待してます。お疲れさまでした。

ポジティブシンキングにも落とし穴はありますが、ネガティブではたどり着けない到達点もあります。

メイドさんハジメテの友達」by 相馬一 まんがタイムきららMAX 2022年11月号p42 芳文社 

 

波乱万丈、最高のときもあれば最低のときもある、でも人生の終わりで「ああ面白かった」と思えるのが、たぶん一番なんだと思います。ええ個人的な考えです。

ぼっちで運が悪くてゲームがヘタでも、そこで「まあこういうときもあるさ」と思えれば、ちょっと落ち込んでもすぐ脱出できるんじゃないかな。

要は「あまり深く考えすぎないこと」なのかも。いや「悩みすぎない」というべきかもしれません。

演劇の鴻上尚史さんが自著か何かで「考えることと悩むことは違う」と書いてました。言われてみれば納得できることですが、ややもすると「ただ悩んでるだけなのに、考えてる気になってしまう」という「ワナにはまる」ことはよくあります。

ポジティブシンキングの落とし穴…危険なところは、この「悩むことを放棄する」つもりで「考えることまで放棄してしまう」ところじゃないかなと思ってます。…ええワタシもときどきそういうことをやらかしますね、それも無意識にね。

ポジティブでもネガティブでも、モノゴトを考えることは人間にとって「成長するチャンス」だと思います。そして同時に「面倒なこと」でもあります。だから「ポジティブシンキング」も「ネガティブ思考」も、ある種「考えることを放棄する言い訳」になりがちです。だと思います。

「為せば成る」「やればできる」も頭から否定はしませんが、それが「考えることが面倒ゆえの言い訳」じゃないかを落ち着いて観察する必要はありそうです。もちろん反対向きの方面でもですね。

世の中…人間社会が「性善説」でも「性悪説」でも割り切れないように、個人の思考指向も「ポジティブ」だけでも「ネガティブ」だけでもダメなんでしょう。というか「無理やりポジティブにもっていこうとする」「なんでもネガティブに処理しようとする」のがいけませんね。そんなときは脳か心が疲弊してるんだと思います。とりあえず寝るといいです、きっと。

 

 

さておき「メイ友」…「メイハジ」?いい略称が思いつかないなぁ。公式のは無いのかな。

新しく掲載される作品って「最初っから100点で、それがずっと続く」ものから「最初から最後まで低ポイント」まであるんですが、ほとんどの場合はいろいろな波があります。この作品は「不思議とポイントを付けにくい」という、ちょっと変わった感触があります。いやこの作品のせいじゃないな、たぶんワタシのセンサーのせいだな。

連載開始から約半年で初ヒトコマお借りしますになります。いまちょっと過去掲載を読み返してたんですが、やっぱりこの作品の空気感というか独特の感触…まだつかみきれてない気もします。いえイイ作品だと思いますよ。画もお話も上手いし。

こういう作品って、だいたい連載1年目くらいで「あーなんかわかった気がする」ってなりそうです。てか過去でもこの手の作品はだいたいそうです。そうやって読み手としてのワタシも少しずつ成長するのかなと思ったり。

グルメ評論家の山本益博さんも「一流レストランのフランス料理も、初めて食べたときから美味しいと思えるワケじゃない。いろいろ食べ慣れてきてようやくその素晴らしさに気付くものだ」というようなことを書いてました。あれ、記憶があいまいだな。別な人だっけ。

ともあれこういう「個人的に少しわかりにくさのある作品・作者」って、ずっと気になってしまうものです。今後の展開に期待してます。

あ、忘れてた。今回この作品中でフブキくんがストローをガジガジ噛んでるところがあるんです。なぜかすごくすごく気になるコマです。いえすいませんそれだけです。

借りモノじゃない「自分のスタイル」をつくりたいものです。

「それでは、ステキなセッションを。」by 福きつね まんがタイムきらら 2022年10月号p14 芳文社

 

…なんてことを「借りたヒトコマでブログ書いてる」ワタシが言っても、説得力のカケラも無いんでしょうね。ええ自覚はしてます、してますってば。

調べればわかるんですがあえて記憶だけで書いちゃいますけど、ビートルズの名曲「イエスタデイ」が生まれたエピソードでこんな話があります。

あのメロディはポール・マッカートニーによるものなんだそうですが、あれが出来たときに「あまりにも自然にメロディが出てきた」ものだから、ポールは「これまでに聴いてきたメロディのうちのどれか」を「ただ思い出して自分で作曲したつもりでいる」だけじゃないか、と大そう不安になったそうで、ジョン達に「このメロディ聴いたことあるか」と訊いたらしい。みんなが「いや、初めて聴くメロディだよ」と言ったので、不安にかられていたポールもホッとしましたとさ…みたいなオハナシです(間違ってたらゴメンネ)

ビートルズの初期の作品を聴くと分かるんですが、ほとんどが「黒人ミュージシャンのマネ」なんですよね。いやあの当時のバンド(そしていまは消えてしまったバンド)の多くは「黒人のブルースロックのパクリ」に近かった。極論ですがそう思います。

でもビートルズには「イエスタデイ」があった。そこからサイケデリックな方面に展開したり、あの「ヘイ・ジュード」のような不思議に「重厚さすら感じる」曲が生まれたりしたんだと思います。

「オリジナルであること・生み出すこと」には、もちろん努力も才能も必要です。運もたぶん必要。でも、ちょっとクサい言い方かもしれませんが「神様に愛された存在」でないと、オリジナルを生み出すことはできないのかも…などと思ったりしてます。

 

 

そして、そんな「神様に愛されてる感」がにじみ出てる(とワタシは思ってる)是沢ちゃん。この「自分にしか弾けない」音楽をずっと大事にし続けられるって、とても素敵なことだと思います。

「○○みたいになりたい」「○○のようなプレイをしたい」というところから楽器を始めるとして、そこから「オリジナリティの追求」へ進めるかどうかは重要なポイントなんじゃないかな。いやべつにカヴァーバンドを悪く言うつもりじゃないです。あれも楽しいですから…てかオリジナルって客ウケ悪いもんね正直(笑)。

この作品、一度かそこら歌詞は出てますが(是沢ヴォーカル回)まだ音楽スタイルのイメージがつかめてません。「けいおん!」みたいにアニメ化すれば音源がでるので当然なんですが、MAXに連載してた「ハルメタルドールズ」なんかも「メタル好きなら何かしらのサウンドがイメージできる」作品でした。

作品名に「セッション」が入っているくらいだから、ちょっとフュージョンっぽいとこもあるのかなとも思うのですが、どちらかというとロック寄りにも感じます。でもテクニックがテーマのときもあるし…よくわかんない(笑)。でも、そういうところに「この作品ならでは」の感触があるのは確かですね。そしてなによりてんちゃんとロノというお助け妖精が登場するファンタジー要素は、いままでの音楽4コマには無かった気がします。あったっけ?

さておき、なんとなく「役者は揃った」感がありますね。次号はどういう展開になるのか楽しみです。

良くも悪くも「慣れてしまう」のが生き物なんですよね。

「むすんで、つないで。」by 荒井チェリー まんがタイムきらら 2022年10月号p76 芳文社

 

というか「生き残っている=慣れるチカラをもっている」ことかも。慣れられなければそこで絶えてしまうわけですから。

いわゆる「○○ロス」ってのも、確かに最初のウチは深刻な問題なのに、ほとんどの場合は「いつの間にかロスしているのが当たり前」になっている。そうやって「自分を保護して維持して、次へと進んでいく」ことが「生き残る能力」なんでしょうねきっと。

一方、変化が急激すぎて「慣れるヒマもなく絶えてしまった」というのもきっといたはず。そういう存在がいたことは事実でも、やっぱり無くなったものは記憶や記録から薄れて消えていきます。絶滅種の悲哀ですね。

どんな苦難や悲しみでも、それを「天が与えた試練」で「いかに早くそれを受け入れ慣れてしまえるかを試されている」と解釈すること。苦難や悲しみを打ち負かそうとするのではなく「吞み込んで消化してしまう」ことができるチカラが、個でも種でも大事なのかもしれません。たぶん大事です。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というのも、そういう「慣れ」のことでもあるのかな。まあ「大恩もそれが過ぎれば忘れてしまう」というのが本来の意味らしいので、慣れないことを良しとするコトバなんでしょうけど、何ごとも引きずりすぎることは未来将来への駆動力をスポイルしますので、捨てる恩があってもしかたないと思います。「この御恩、一生忘れません」というのも美しいことなんでしょうけど、ひっくり返すと「この恨み、死ぬまで忘れまいぞ」ってことにもなるし、やっぱり「良くも悪くも慣れてしまう」のが正解なんじゃないかと、いまこの瞬間は思っています(明日もそう思ってるかは知らない)

 

 

さておき、最終回の「むすつな」。このタイトルページの大人つなぐさんがけっこう好みだったりします。

失踪事件(神隠し)が主題となってたこの作品、途中からはコミュ障ネタとかが前面に出てきてましたが、なんというか「日常のかけがえのなさ」と「避けられない変化の受け入れ方」が、こうして最終回で振り返ると主題だったのかなぁとか思ったり。

店の名前…「結」かぁ、いい名前だと思いますね。でももっとヒネった感じになるのもよろしくてよ(嬢)。

今回、お借りするヒトコマの候補が多すぎて、かなり悩んだんですが、最後にポッとこのコマでの記事が思い浮かびました。この作品が終わって、きららにこの作者さんの作品が無くなっても、きっとそのうち慣れるでしょう。そしてきっと慣れたころに新作の連載が始まるんじゃないかなと思ってます。ともあれ、ありがとうございました&お疲れさまでした。

けっこう真剣な悩みだったりします。

「オネェの恋のはじめかた」by 真木たなひ まんがタイムオリジナル 2022年10月号p159 芳文社

 

…いえワタシ自身はゲームってほとんどやらないんですけどねいまは。

悩みになってるのはウチの子どもたち、特に「下のムスメ」です。まるっきりゲーム中毒です。寝てる時間以外ほとんどゲームやってんじゃないかな、監視してないので分かりませんが。

ゲームってやりだすと止まらなくなる、時間があっという間に溶けて消えてしまう、そういう危険物だと思います。ええイマドキの親世代がもつ「偏見」かもしれないとも思いますけどね。

でもあの「四六時中ゲーム端末に触っている」状態が異常ではないと受け入れるには、ワタシはジジィ過ぎるのかもしれません。別にアンチゲームなつもりはないんですけども、それでも「自分をコントロールできてない」と思われる没入ぐあいを見ていると不快感さえ感じます。感じるときがあります。

とはいうものの、あの子どもらの姿を見るときに「じゃあ自分たちはどうだったのか」を思い返すと、また考えさせられる面もあるんですよね。

ワタシらの場合、四六時中…というと「音楽中毒」だったと思います。あの「ウォークマン」のおかげで、ヘッドホンとソレさえあれば、いつでもどこでも「好きな音楽に溺れていられる」というヤツです。

あのころ、大人たちには「耳元で大音量のロックとか聴いてると脳が振動でバカになる」「勉強するときぐらい外せ。静かな環境じゃないと頭に入らないはずだ」「そんなに四六時中音楽を聴いてなにが楽しいのか」などと、ホントいろいろ言われました。ダジャレになるんですが、チェッカーズがスキだと言うと「あんな知恵つかず(チエツカ-ズ)の音楽のどこがイイのか。聴いてると知恵がつかんぞ」と…まあ当時なりのオヤジギャグですね(苦笑)

一番コタエたのは、個人的に尊敬していた上智大学ピーター・ミルワードさんが、自著で「ロック聞くべからず」と書いていたことです。「ああいう音楽を大音量で聞いていると、こころのどこか大事な場所がダメになる」というようなコトを書いてたんですよね。ショックでしたねーアレは。

さて、ではいまのワタシたちはどうなんでしょうか。あのころに大人たちから言われたとおりダメになってるんでしょうか。ワタシはそうは思いません。ちゃんと「いまの時代なりの大人になっている」と思います。四六時中ヘッドホンかけてることもなくなってますしね。…いやアレコレ言ってきた大人たちの目に、いまのワタシたちがどう映っているかはわかりませんけど、それを言ったら「あんたらはどうなん?老害になってへんのんか?」という気持ちになりますもんね。

そうやって自分たちのコトを振りかえると、いまの子どもたちのゲーム漬けを「ただただ大人目線≒上から目線で糾弾する」のは、たぶん違うんじゃないかな。きっとこの先はそういう経験も役に立つ時代になっているはずだし、中毒状態だっておそらくは長くは続かず脱しているんじゃないかな。ワタシはそう考えるようにしています。…スイマセン「感情的にはまだまだ受け入れられてない」のは事実ですけどね。だから悩みなんですけどね。

…脳への影響?ああ、それは確かに心配ではあります。その手の本、よくいう「スマホ脳」とかですよね。でも世の中新しいモノに「ヌレギヌ的な悪要素」をかぶせることもよくありますから、できるだけフラットに注視することが大事かと。ちょっと違うかもですが「携帯とかの電磁波がどーのこーの」っての、一時期ほど言わなくなったじゃないですか。脳腫瘍ができるってあれだけ騒いでたのにね。ま、そういうことです。

 

 

予期せぬ長文になっちゃいましたがご容赦いただき「オネ恋」。個人的にこの作品で初ヒトコマが九龍くんだったこともあり、今回の彼のオハナシはちょっと考えることが多かったです。まあ確かにお金は無いよねー>高校生。

考えてみると、キャラ配分はとてもイイ作品なんですが、そもそもくるみんと九龍くんのなれそめ(?)とかってどういう感じだったんでしょうか。出席番号(五十音)で接点があったのは以前出てましたが、ゲームばっかやってるタイプの彼と、オネェなくるみんとでは…かなり違うよねホント。

そして一番コワいキャラかもしれないなぎなぎ(笑)。いわゆる「海面下が異様にデカイ氷山みたいなキャラ」といえるでしょう。こちらはみなもんが自然体で接して仲良くなった感じ。なんとなく想像できるね。

この作品って、キャラの過去とか「描くところ」と「あえて描かないところ」があって、ちょっと推理ゲームっぽい部分があります。想像力回路を刺激される感じがしてスキなのかな。

4駆のチームにまぜてもらってた頃を思い出します…すごく楽しかったなぁ。

「センキュー!80!」by 原 作原 まんがタイムきらら 2022年10月号p169 芳文社

 

あのころは休みにメンバーの都合がつけば、2時間ほどかけて山奥へと入って行って、河原でバーベキューをして昼寝をして、それからてんでにそこらへんを「登ったり下りたり川を渡ったりetc.」で、それこそ3時間くらい遊んで帰る…ということをやってました。

いまは自然保護云々がうるさくて(いやそれは大事なことだと…ホントに大事なことだと思うんですけどね)あんなマネできないかもですが、ああいう遊び方をさせてもらえた時代に感謝してます。

いつも集まってたのはだいたい5~6台でしたかね。ワタシは一番の若手で免許取って1年かそこらでしたが、先輩にいろいろ教えてもらい「やっちゃいけないこと」とか躾けられました。

「悪ふざけは絶対しない」「単独では動かない」「ゴミは持ち帰る」など…当たり前のことなんでしょうけど、当時山へ入ると「バーベキューのゴミが放ったまま」なんてのをよく見ましたから「ああいうことはしちゃいけない」と。

メンバー自体はクルマの整備工場さんがリーダーだったこともあり、そこそこ大所帯でした。大半はランクルで、40から80まで(100はいなかった)いろいろでしたが、それ以外はハイラックスと…ワタシのラガーくらいでした。あれ?なんでパジェロがいなかったんだろう。

そうそう、前回はブリザードって言ったけど正確にはラガーです。だって通じないもんラガーだと。メビウスって言って「ああダイハツ版のプリウスね」ってわかる人…いないでしょ?(笑)

ともあれ、ちょっとヤベェ感じの急坂を登るの…楽しいよねー。考えてみればラガー以降オフ車は乗ってない(デリカのSGは別)ので、もう何十年もそういうのやってないなー。

…いやまてよ、そういや一去年の夏に、仕事で「スキー場のゲレンデ」を登りましたね。4駆だけど軽でATだったので、途中で登れなくなって「ゴメンちょっと一人降りて」って(笑)でもそれも楽しい。

 

 

本編のハナシにいけなくなりそうなのでここらで「セン8!」。タイトルコマが…いや分かるけどいきなりこうキマシたか。そうかー確かに「あのころの文化」ですよね(キライじゃないよ)

さておき、無事免許を取得したみつきさん。おじいちゃんのおさがりのジープでぐでーんもるげんと登場。うん初回にも登場してたヤツだろうね。こういうおさがりって、あの頃の「頑丈でカナモノで機械式のクルマ」だからできることで…イマドキのクルマだと樹脂パーツが多くてそこからダメになっちゃうもんね。

ジープはあこがれたなぁ…現実的にチョイスするには壁が高すぎましたけど(笑)。むかし北海道にいたとき、冬場に「ジープの後部座席に乗せられて旭川から札幌まで通院」したことがありまして、あれは地獄だった(笑)。足とか凍傷になるかと思ったもん。多少の快適さもクルマには大事だと思います正直言って。

そんなジープ、本領発揮はやっぱりオフロード。とにかく「踏み越え乗り越え」走りきってしまうのは快感ですなぁ。ただドライバー以外は相当しっかり身体を保持しないと振り落とされそうになりますけど。

ともあれ、たぶん3話ゲストの予定だったんでしょうが、次号4話目掲載!めでたい!…あらこのまま連載してよろしくてよ(嬢)。

どんな情報でも「尾ひれが付いている」と思っておくべきですね。

ゆゆ式」by 三上小又 まんがタイムきらら 2022年10月号p154 芳文社

 

田舎で暮らしていると、たまにイヤだなぁと思うことがあるんですが、その最たるものが「ウワサ話」とその「盛大な尾ひれの付きかた」です。ええ被害を被ったことが何度かありますので…。

以前に書いた「知らない人にもあいさつをする」というのは、郷に入らば…で従っていますが、こちらの「尾ひれフル装備プラス違法改造エアロひれ付きウワサ話」については、どうしても受け付けないところがあります。

もちろん「不審者情報」とか「特殊なメンタリティを持っているので避けた方がよい人物情報」などは、有益であるのは確かですから、全面的に否定・非難することはできません。いろいろ「トラブル防止」に役立つものはありますから。

ただ、悪い意味で「一を聞いて十を(勝手に作り上げて)知る」のが田舎の方々の傾向として強く感じます。正直、都会で生まれ育つと「いちいち他人に興味をもっていられない」のは事実です。それを「都会は冷たい」と思うかどうかは人それぞれ。でも都会で生活するならそれを受け入れた方がよろしいとワタシは思っています。

ワタシの場合、ヒドイものでは「事情があってスーパーへ一人で買い物に行く日が何日も続いた」というだけで、ムスメが聞いてきたウワサが「ムスメちゃんのラクダパパって、離婚して独り暮らしなんだって?」という…まさに「絶句」モノのウワサでした。

出どころは「レジのパートをやってたムスメの同級生のお母さん」らしかったのですが…もうムチャクチャでごじゃりますがな~って気持ちになりました。もちろんムスメは即座に否定したそうですが、そういうヘンなウワサが立つという恐ろしさを体験できたのは、田舎で暮らす上でイイ勉強だったと思うしかありませんよね(苦笑)

それ以外にもいろいろあるんですが、思い出すだけでハラが立つのが多いので割愛!ともあれ、そういうウワサ話と距離をおける人間でいたいものです。

 

さておき「ゆゆ式」。タイトルコマのあいちゃん、ポーズもよいのですが、ふくれたほっぺがたいそう魅力的です。ねーなんでこんなに魅力的なキャラなんでしょうかねー。これモノクロですが服の色味がどんななのか気になります。原色じゃないイメージがあるんですけど、どうなんでしょう。

ラッキーアイテムとか占いにはツキモノなんですけど、ああいうのってどうやって占えば「幸運はこのアイテムで!」って出てくるんでしょうか。むかしやってた占星術では、色とか職業とかはあったけどアイテムって…あったかな?忘れちゃったよ。

ちなみに私はダークグリーンがラッキーカラーでした。当時の服の色の好みとドンピシャで驚いたっけ。以前ネタにもしたバースデーカラー、その記事には書きませんでしたが紫色です。そのときもホントに自分の定番デスクトップ色だったのでビックリでしたね。

唯ちゃんの誤解されているイメージを払拭してあげようとするあいちゃんの様子が、なんともカワイイというかほほえましいというか…そうだよね友だちが間違ったイメージで捉えられているのってヤだもんね。やさしいなぁあいちゃん。