「性別不明な殺し屋さんがカワイすぎる。」by つみきつき まんがタイムきららMAX 2025年6月号p59 芳文社
いまの時代、親の方が「口を出さずにおれない」「手を貸さずにおれない」「近付かずにはおれない」ような気がします。子どものためと言いながら、子どものためにならない(かもしれない)ことをしてしまう。でもそういう親のやっていることは「現在ではアタリマエ」になってるんですよねぇ。…うむむ、ワタシが時代おくれなだけなのか。
子どもがより善く成長するために必要なことは、親にも同じように必要なのかもしれません。やたらに「干渉されない・干渉しない」ことで、たとえ失敗とかしても、本来成長に必要な「痛いおもい」「熱いおもい」「苦しいおもい」を経験することができますからね。うん、親も「ツラいことで泣く子ども」に対することで成長できる…はず。
…なんか似たようなこと前にも書いたっけ、と思ったら…やっぱ書いてた(笑)。これってやっぱり「老化」ってヤツなのか。ジジィが同じことを何度も繰り返し言うようなコトを、ブログでやってしまってるよなぁ。しゃーない、それが「加齢」だ。そのうち「老人特有の症状」なんてのも出てくるんだよきっと(諦)。
それはともかく、コトバとしての「放任」って、最近は「子育てにおける(親としての)責『任』を『放』棄するコト」のように使われがち。だから「悪い方へ」受け取られるんんだと思います。
本当は「子どもが本来持つ『成長するチカラ』に『任せる』コト」だとワタシは思いますね。真っ直ぐ育つようにと手を出し過ぎると「真っ直ぐ成長するチカラ」が鍛えられない。たぶん。きっと。
でも、残念ながら時代が時代ですからね。例えば「徒弟制度」を時代がスポイルすることで「弟子を育てる」という心構え、考え方、ノウハウが絶えてしまう。いまのワタシたちは「そんな時代」に生きているということを、心に留めておくべきではないでしょうかね。
さておき「ころカワ」。倫の実家(田舎)へと向かう御一行様です。いやまあ忘れモノ(者)があったりもしますが(笑)。
今回、なんとなくなんですが、紙よりも「バックライトの点いた液晶画面」で読みたいような感じです。特に花火のシーンとか。実際に夜の情景を「紙の上のCMYK」で表現するのってムズかしい。描く側もかなり努力してるんでしょうけど、やっぱりこの作品は「SNSから生まれた」ということ(ある種先入観)もあってか、ディスプレイとの親和性を感じてしまいます。うん、物理的に暗めの情景も多いしね。
倫の両親が…何というか「意外なくらいイイ人たち」だったり、田舎だと倫が「野生児度数アップ」したり、またユーリがそれにしっかりついていけてたりと、なかなかに微笑ましいオハナシです。この作品、たまにギスギスしたりグサグサきたりしますけど、ときにこういうシーンがあるので、何か…イイよね。
しっかし…今回、オチが何とも・・・\カワイそすぎる。/
…そうだ!忘れるトコだった。
今回のタイトルコマ、ホームの電光掲示板の文字が、リアルなら「こだま」「のぞみ」のところ…
…「ことだま」「のぞむ」になっております。うん、ボクこういうのものスゴくスキ!
そうだね、4otyのコメントに書いたように「アニメ化してメジャーになってイベントで「ユーリのコスプレ」をする男女が溢れる」のをのぞむよ。よろしくことだま。