ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

あるストーリーを「文字だけであらわしたもの」が小説で、「動画や音声などあらゆる表現手法をもりこんだもの」がアニメだとすると、その中間のマンガってスゴい表現手段なんだなって思います。

「さよなら幽霊ちゃん」by sugar. まんがタイムきららフォワード 2022年10月号p447 芳文社

 

うまく言葉で表現できないんですが、小説だと「文字であらわされているもの」をほぼすべて個人の脳内で再構築する必要がある。一方アニメだと個人の脳内で再構築する余地がほとんどない。

私の個人的な考えなんですが、やはり「脳内で構築する作業が楽しめる」ぶん、小説のほうが手法として成熟していると思います。でも作者の脳内で創造されたものとはかなり違ってくる。よくないケースでは、作者は少しでも自分のイメージに近いものを読者に届けようとして、ときに却ってわかりにくく伝わりにくい文になったりする。それが結局「没入しにくい」という結果になる。

アニメは「作者のイメージに沿ったもの」が作られれば、視聴者に作者のイメージを容易かつ正確に届けられる。もちろんイメージ通りのアニメは簡単にできないし妥協の産物になることも多いだろうけど、それでも「視聴者に脳内での再構築を任せない」ことで、より正確な伝達が可能になるはず。でも脳内再構築という「受け手の味付け」が出来ないぶん、私のような「それが楽しい人間」には、どうしても喰い足りない。

マンガのスゴいところは、その間のいろんなポイントを自由に選んで制作ができること。コマ割りや展開の手法、描き込みのち密さなど、とても凝った作品もあれば、4コマのように基本同じコマ割りで、比較的ラフな表現のものもある。

小説もアニメも、そしてマンガも、それぞれ良いところがあるし、受け取る人によっても違ってくるけれど、やはり「適度な引き算」がされたマンガが一番私には楽しめる気がします。

 

 

そして「引き算の加減が絶妙な作品」であります「幽ちゃん」。もともとフォワードに不釣り合いな描き込み少な目な感触でありながら、ときになお引き算手法を重ね、その分決め処で「右ストレート」が繰り出されると「破壊力MAX」な作品になっていると思います。なっています。

作者さんはフツーにきららっぽい画も描ける(はず)のに、この作品ではこのスタイルの絵柄で通してきてます。私個人にとっては「脳内再構築」と非常に相性が良い絵柄&表現手法で、秀作を越して名作になっていると思います。

そして…次号で最終回。そりゃ「次マンノミネート」で押してこない訳だ。

ともあれ、自分がこの作品を楽しめるリテラシーを持っていることに感謝しながら、最終回を見届けようと思います。

…もっと書きたいことはあったんだけどね。前半こねくり回し過ぎちゃって…。