ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

「親ガチャ」ねぇ。言いたくなるのも分からなくはないけど…「それを言っちゃあオシマイよ」かもよ。

「ローカル女子の遠吠え」by 瀬戸口みづき まんがタイムオリジナル 2022年8月号p66 芳文社

 

親のせいで悲惨な目に遭っている人は「そんな苦労を知らない人にいろいろ言われたくない」って思うんでしょうけど、自分が親の立場になると「親ガチャ」という言葉の意味が変わりますからね。

もし「親ガチャに失敗した」と感じているなら、できるだけ「親と一緒にいる時間を減らす」しかない。個人的にはそう思っています。だいたい「親ガチャに失敗した」という感情が子の側にあるということは、親の側でも何かしらの似た感情があるでしょうからね。そういうときは「距離を置く」のが一番です…たぶん。

不思議なもので、距離が取れるようになると「親のイヤなところが気にならなく」なってきて「そう悪い親でもないのかな」という気持ちになるはず。そういう気持ちになったら、その距離を上手に保ちながら「自分の人生を生きていく」とよろしいかと…たぶん。

そして自分が「自分なりの価値観で」良い親になる努力をする。結婚して子どもを育てて…そうこうするうちに絶対子どもから「かつて自分が親にしたようなこと」をされます。ええ絶対です。言い切っちゃいますとも。

そこであなたの感情に芽生えたもの。それがあなたの「親ガチャの真の結果」だと思うのです。そこに至るまでは「こたえは見えない」んじゃないでしょうか…たぶん。

 

 

なんかもっといろいろ書きたかったはずなんですが、この暑さにやられてしまったのか蒸発してしまいました(笑)。そんなわけで久しぶりにタイオリの「遠吠え」。4コマじゃないとこんな感じになるんですね。いや悪くないですよ、てか良いと思いますよこういうの。

「努力を否定する」のじゃなくて「努力の『価値』を否定する」という言い方に、どことなく「表現へのこだわり」と感じます。五樹くんかな、作者さんかな。

「キリギリスのフリをする」というのは、かつてワタシも何度か書いてる「努力は見せないのが伊達」というやつですね。これを「あいつは隠れて努力している」と言い換えると、それを「伊達で良いこと」と捉えるのが普通だと思う人たちと、逆に「油断させて出し抜くズルいこと」と捉えるタイプの人たちに分かれると思います。

後者が増えている気がして、それが当たり前の社会になっていく予感があります。この作品はあくまで「4コマまんが」なんですが、りん子さんやその周辺の人たちを通して、私たちに「努力ってなんだろう」と問い続けているような気がします。大仰に捉えすぎかもしれませんけどね。