「瀬戸際女優!白石さん」by 櫻井リヤ まんがタイム 2022年7月号p132 芳文社
また昔と違って「ネットで炎上→拡散して大火災」なんてこともあるので、いまのタレントさんとか大変だなぁと思います。
欽ちゃんとかドリフとか、いまからすると「これヤバくね?」ってコント、結構ありますもんね。うるさい人たちは「誰も傷つけない表現」にこだわってるようですけど、正直「…うん、それ無理」だと個人的には思ってます。
「多様な社会(価値観)」を(少なくともクチでは)推進している人たちの多くが、えてして「言葉狩り」も推進されていらっしゃるのは、いったいどういうことなんでしょうか。一見矛盾が無いように装ってますけど、私は非常に強い違和感を感じるんですよホント。
誰しも矛盾を内包しているのは事実ですし、それをとやかく言う気は無いんですが、さも自分には「何の矛盾も無い!」という態度に出てくる方々は苦手です。
「寛容のパラドックス」という言葉があります。「寛容な社会を維持するためには、社会は不寛容に不寛容であらねばならない」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)というものですが、つまり「自由を踏みにじる人たちには自由を認めない」と言い換えてよいと思います…正しくなかったらごめんなさい。
私自身は「言葉を自由に選んで表現する(話す・書く)」ことはとても大事で、本来制限されるべきものではないと考えてます。だから「言葉狩り」には強い嫌悪感をもっているのです。もちろん「配慮されるべきとき」はあるでしょうし、そこらへんのいわば「常識の範囲」というぼんやりしたものの存在は認めたいとおもいます。
「言葉狩り」をしたがる人に多いのは「弱者の感情に配慮すべき」ということを声高に主張することで、でもその人たちはあくまで「代弁者」なんですよね。それも往々にして「弱者の感情を誤解している」ことがある人たち。
ヤバイな…言いたいことがとっ散らかってきたぞ(汗)。
まとまらない文章ですが最後に言っておきたい「弱者への誤解から発生する配慮」の一例を。
片親だったり親がいなかったりする子供が、運動会とかで「ほかの家族が楽しくお弁当を食べているのを見るのは辛いはずだ」という誤った考えから、児童は児童だけで、観戦している親たちは親たちだけで、昼食を取ることを主張した人を知っています。はっきり言って(私の個人的な意見ですが)巨大なお世話です。いまだに思い出すだけでハラが立つんですよ。いいかい、君にそういう「配慮という名のマウント」を取られるのは不愉快なんだ。やめてくれ。
…すいません感情的になっちゃいましたね。さておき「白石さん」。
世の中には「マジメゆえに視野が狭くなった人」が多いのかもしれません。なので、こういう白石さんのような「不真面目な生き方から見た解決策」が思いつかない人もいるんでしょうねたくさん。
元ヤンとかを全面的に善しとする気はないんですが、やはり「ものの見方・考え方」が違う人の意見って、ホント役に立ったりします。
交友関係は「無理して拡げなくてもいいけど、拡がったならそれも大事に」したほうが、人生にプラスになることが多い気もします。ある程度は付き合う相手を選ぶのももちろん大事ですけどね。そうだね要は距離感ってヤツだろうね。
さてさて、ラジオでの冠番組がスタートする白石さん。どういう展開に進むのか読めないんですが、そこがまた面白いところです。