ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

ときに「捨て駒」とか「消耗品扱い」とか…イヤな言葉なんだよなぁ。

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「となりのフィギュア原型師」by 丸井まお まんがタイムオリジナル 2021年7月号p110 芳文社

 

…現実にはそういう扱いをされるんですけどね。

名将とされる武田信玄の「人は石垣云々」は、現代社会では通用しなくなっているのかもしれません。武田家も結局息子の勝頼の代で絶えてますしね。

でも、だからといって「兵を大事にしない」ことが「正しい戦略」ではないと思います。「兵」の実体は「人間」ですからね。ポテンシャルを引き出すには「兵としての価値」を将が認めて「価値ある存在≒大事にする」ことでパフォーマンスが全開になる。そう思います。

一方で「(モチベーションにかかわらず)我が兵は果敢に戦う」と思ってしまうことが、負け戦への一本道でしょう、たぶん。もちろん「ブラック企業による社員の追い詰め方」のような「短期的なシボリ」でも人は動いちゃうことがあるので、あくまで「長期的な展望」での話ですが。

怖いのは、人間は「立場や肩書や、その任務」を与えられると、「大局的に正しい行動」よりも「近視眼的に求められる行動」を選んでしまう。そんな気がするということです。

上の立場になって「駒を動かす」とき、自陣の勝利が目的なので「勝てる采配」をとるのですが、より一番正しい行動は「上手に和睦をはかり、自陣の損失を最小限にとどめる」≒「兵を大事にする」ことじゃないかなと。

でも「将兵は戦ってこそ」という狭い視野になると、結局「勝つためには戦うしかない」となるんじゃないでしょうか。

 

何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが「とな原」。フィギュアから「駒→ゲーム」の話になってます。

ボードゲームはほとんど経験がないんですが、将棋の弱さから察するに「(おそらく)弱いであろうという自負」はあります。

でも「駒の造形」には多少興味がありますね。ボードゲームの盤や駒ってオブジェっぽいのも多くて、中には「全然ゲームをやる気はないけど、この盤や駒は欲しい」と思わせるモノもありますから。

一時期、ガラスで出来た「透明なチェスの駒」にとても惹かれて、もうちょっとで買いそうになりました。同じような「透明なボードゲーム」もいろいろあって、コレクションとして欲しかった。ええもちろん高価で買えませんでしたが。

そのかわり「透明な樹脂製の多面ダイス」は収集してました。ああいうのって、集めているときはとてものめりこんでたんですが、いま考えると「…どうして?」というところもありますねちょっと。

3Dプリンターかぁ…お金が有り余ってたら(あと空間に余裕があれば)欲しいかも(笑)。