ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

たとえ「ワルあがき」であっても、足掻くほうを選びたいよね。

「紡ぐ乙女と大正の月」by ちうね まんがタイムきららキャラット 2024年1月号p156 芳文社

 

「足掻くことなく諦めて、力を温存して次の機会を狙う」のも正解かもですが、何となく「諦め悪く足掻く」ことが多い気がします。ええ私の場合は。

もちろん、そういう事態にまで追い込まれる前なら、新しいルートを探してみるのがよろしいとは思います。でも、追い込まれたなら「脱出を試みて」「それでもダメなら戦う」、つまり「足掻く」ほうがいいです。「窮鼠猫を嚙む」と言うように、そこから突破口が開くこともあるはず。

…まあそういうのって「結果として生き残った者の成功バイアス」なんでしょうけどね。分かってるつもりですよ一応。「ワルあがき」をしても、結局その多くが奈落の底に落ちていったであろうこともね。世の中そんなもんです。いやホント。

ああ、何だかヒネた文になってますね。いかんいかん。

でも、ガガガSPの「弱男」の歌詞じゃありませんが「本当にそんな事出来るならば」あえてこんなブログに書くことはないわけで、だからこそ自分を「奮い立たせたり慰めたり」するために「足掻くことや善し!」と繰り返し書きたくなるんだと思います。

ともあれ「足掻くことで何かが変わる」と信じられるメンタルは、死ぬまで大事にしていきたいと、少なくともいまこの瞬間は思っています。

 

 

そして、これもまた最終回を迎えてしまっていた作品の「つむつき」からヒトコマ。「次マン」ノミネートのタイムスリップものとして、読み返すとやはり秀作だなぁと感じます。まあ何かちょっといろいろゴタゴタしてたようなことも聞こえてきますけど、ここらへんからの最終回へのハナシの展開は、個人的にスキです。うるっときそうになります。

このヒトコマのセリフ、紡の母親が言ってるんですが、自分の子どもにコレを言えるのってかなりスゴいことかもなって…。紡に対して「そんなこと訊くなんて…何かあったの?」とかそういうの全然言わずに、ただ「やり直せばいい」と言うのって…スゴくない?ワタシなら絶対「何でそんなこと訊くのか?何があったのか?」と問い詰めずにはおれないはずですから。それがリアルだと思うんですよ。

そう考えると、この作品の魅力は「中途半端なリアリティより、ストーリーの上でキャラをドライブさせることを優先している」ことなのかな。全体を通して読むとなおさらそういう感想に行き着きます。

さておき、作者さんにはご慰労と感謝を、そして次の作品への期待を届けたいです(とどけー!)。