ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

いまでこそ吸うこともなく副流煙には憎しみを覚えますが、かつては「キミ無しでは生きられない!」と愛を誓ったこともありましたねェ…(トオイメ

「ローカル女子の遠吠え」by 瀬戸口みづき まんがタイム 2024年1月号p9 芳文社

 

子どものころは「ヘヴィスモーカーだった父親の煙にまかれて」生きていた気がします。それでもその煙で気持ち悪くなることはほとんどなかったのですが、列車とかの車内でタバコのニオイがすると、なぜかダメージがデカかったです。ちょっと不思議。

時効(?)なので白状すると、タバコを初めて吸ったのは小学生のころ。祖母が吸っていたハイライトを失敬したのが最初だったと思います。祖母はたまに冗談で「吸うかぃ?(笑)」とか言ってたんですが、いつも「吸わない!」と断ってたんです。でも、ある日好奇心で祖母がいないときに1本くすねて、隣家との境のブロック塀に登って吸ったんですよ。

正直、記憶があいまいなんですけど、特にむせたりもせず「ああ、なんか悪くないな」と感じたような覚えがあります。それからときどき…ほんとにごくたまに、塀の上で吸ってましたね。

その後、中学ぐらいになると「ふつーに喫煙者」になってたかも。親の前では吸いませんでしたが。あのころは生徒ちょっとくらいがタバコ臭くても、親が吸うせいだと思われてたのかな。先生に「お前タバコ吸ってんじゃねぇか?」とか言われたことは無かったですね。一度ちょっとゴタゴタがありましたが長くなるので割愛。

一番量が増えたのは大学時代。前にも書いたけどいろんな銘柄を吸っていました。でもいわゆる「洋モク(死語?)」が多かったかな。デパートのタバコ売り場でしか売ってないヤツをよく買いに行ってましたから。

あのころは「メシ代削ってでもタバコ」というヤニカス(当時はそんなコトバ無かったけど)でしたね。ホントに「タバコとコーヒーがあれば生きていける(無かったら死ぬ)!」と思うくらい。あれはいったいなんだったんだろう…。

ところが、ホンキで「メシかタバコか、どちらかを選べ!」という経済的窮地に立たされて、そのとき「よし…やめよう」とタバコをヤメたんですよ。あれー?なんで「減らそう」とか「しばらく控えよう」とかにならなかったんだろうなー。考えてみるとヘンだよなー。

…そうそう、当時ちょっと「煙が目に沁みる」ことが増えてきてたコトもあったのかも。「目が痛いなー」「目から続いて頭痛もするなー」とか、多少なりともタバコの害を感じてたかもしれません。

いずれにせよ、それからこっちずっと「非喫煙者」です。1本も吸ってないというと語弊がありますが。

長くなりましたが、やはり「キミ無しでは生きられない!」と感じたあのときの気持ちは、いまも心のどこかに残っています。ですから「百害あって一利なし」と言われる「日陰者」になっても、どこかタバコのことを憎からず想ってしまうんですよね。

 

 

さておき「遠吠え」。すいませんねヒトコマ借りるのが遅くなったので…もう新しい大河ドラマが始まっちゃってますが(笑)。まあ今回のネタとしては大勢に影響がないということでご容赦を。

そういえばドラマ館3館のうち岡崎市のだけは行ってきましたよ、家族連れて。もう一年前かな。けっこう見どころもあって楽しめました。カミさんに「次は静岡に行こうよ」と言われてたんですが、結局多忙にかまけてそれっきりです。

それにしても「1箱600円」なんて時代がホントに来るとはねー。「あんな百害(以下略)なんて撲滅させたい→なら高くしちゃえ、税収も増えるし」なんでしたっけ?いやまあそれだけ「喫煙人口が減ってタバコの値上げがしやすくなった」ということかも。…スイマセン吸いませんのでよく分かってません(笑)。

ただ、タバコについてどうしても言っておきたいのは「寝タバコ、ダメ。ゼッタイ。」です。三国志などで有名な漫画家の横山光輝さんが、寝タバコが原因の火事で亡くなったときのショックはいまも覚えてます。ホテルニュージャパンの火災でも、大勢の人が巻き添えで亡くなりました。やれ肺がんの原因だの副流煙がどうだのよりも「一歩間違うと多くの人命を奪う原因になる」ということは、絶対忘れてはならないと強く思います。