「煩悩JKとビジュつよ住職」by 猫川たら子 まんがホーム 2025年1月号 p150 芳文社
…はい、前にも書きましたが、カミさんにもムスメにも「共感力(≒気持ちの上での寄り添うチカラ)ゼロ!」とバッサリやられたラクダです。多少なりとも自覚はありますが。
メンタルケアとしての「寄り添い」の大事さは、実感できてないかもですが理解はしてるつもりです。「つらかった」と訴える人に「よしよし、そうか、つらかったんだね」という言葉をかけることぐらいは、こんなワタシでもできます。できてるつもりです。
ただね…最近どうにも「気にくわない」のが、政治家とか行政関係とかが使う「寄り添う」という言葉。どうも「カチン!」とくることが多いんですよ。
障害者だったり被災者だったり生活に困窮してる人たちだったり…対象はいろいろですが、そういう人たちへの社会的なケアを語るときに「寄り添う」という言い方が多用されてきて、個人的には「何だかなぁ…」という気持ちになります。
実際のところは、いわゆる左巻きの方々が「都合よくネタを展開させる言葉」であったはず。執行者側がいろいろ考えて行っていることであっても「○○の気持ちに寄り添っていない!」と糾弾したりするのによく使われてましたからね。ええムカシの話ですが…。
ところが、気付くと一般的な使い方として「寄り添う」が用いられるようになっていて、いまでは右寄りの方々も使うし行政も使う。あたりまえになってます。
でも、よく考えると「具体的な内容を指し示さない」「あいまいな」言葉でもあって、結果として「用いる人によって都合よく意味付けられ」「受け取る側によって都合よく解釈される」んですよね。
あいまいなことをあいまいなままで…というのは日本人の良いトコロでもあり悪いトコロでもあります。ただ「言葉イコール思考」でもあるわけで、あまりあいまいさを許容し過ぎるとマイナスも大きくなりそう。
ワタシが学生のころは「日本語の乱れ」がメディア等でもよく取り上げられてましたが、あの頃「そんな日本語は無い!」などとお怒りだった学者や作家の気持ちが、いまになって分かる気がしています。
…はい、そんなこんなでジジィのタワゴトに拍車がかかってきておりますが、それはさておき「煩ビジュ」。まだまだコドモでオバカな光月に対して強く当たった一臣。光月のためを思ってのコトですが、それが通じりゃ苦労はしないワケですよね。
百も承知のコトですが、やはり女性に対して「正論」は逆効果。少なくともまずは「共感」からはじめて、じわじわと「正論」を出さないとダメですなぁ…いやワタシもそれが出来りゃ苦労はしないワケで(苦笑)。
ともあれ、過去の自分の間違いを振り返りつつ、なんとか光月を連れ戻してとりあえず一件落着(?)。次回はどういう展開になるのか楽しみです。
作者さんのメインフィールドはBL系なのかな。でも4コマとも相性良さそう。こういうフツーのラブコメもイイ感触です。
この作品、昨年の2月号からスタートなので、これで1年12話。いまのところ単行本のハナシは聞こえませんが、まだ連載は続きそうですので期待したいところです。