ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

「雇う側」も「雇われる側」も(そして「お客」も)「無理を押し付け合う」のはやめましょうね。

「コンビニ夜勤のあくまちゃん」by なじみ まんがタイムきららMAX 2022年8月号p9 芳文社

 

お互いが「できることで支え合って」「多少のことなら譲歩し合える」のが良いのですけどね。まあいまの時代、そんなこと言っても鼻で笑われそうですが…。

昔は(いつだ?)職場の一体感というのが大事にされていたかなぁと。あと「頑張って働く」→「会社が儲かる」→「給料が上がる」→「もっと頑張る」というループでした。たぶん。

でもいつからか「頑張るヤツほどバカをみる」世の中になっちゃってる。誰もが「楽して儲けよう」と考えてる。「自分の経験値を高めてその経験を生かそうとする人」を嘲笑う。そういう時代かもしれません。(原因は…「会社は株主様のもの」みたいな考え方が蔓延ったせいだと思う)

もちろん「流れに棹差しても流されるだけ」なのは残念ながら事実です。でもなんか「そういうただ流れに流されるのって…どうなの?」と感じることはあります。…いえ特に何か具体的な行動に移してるとはいえませんけどね私も。

話がトビますが、サウンドハウスという楽器屋があります。以前の通販専業的、つまり四半世紀前から利用してるんですが、その創業者のブログを読んでいて「あー、あのころのサウンドハウスの中ってそういう感じだったんだ」と、ちょっと感動した記事がありました。

『特に創業直後からの20年、仕事量は半端じゃなかった。90年代は夜半すぎまで残って仕事する日も多く、仕事を終えるまでみんなが声をかけあって頑張った。そして夜中にラーメンを一緒に食べに行くのが楽しみだった。そんな苦労があって、今のサウンドハウスがある!』(サウンドハウス創業者のコラム「Rickの本寝言」2022年3月21日より引用)

私が利用し始めたころですねこれ。「サウンド&レコーディング・マガジン」の後ろの方に「テキストの多いモノクロ広告」(&社員の似顔絵)が載ってて、当時からとにかく「安くて品ぞろえがイイ」店でした。

そしていまでは考えられないんですが、あのころは「どこかの市場からもらってきたような再利用ダンボール箱」に「緩衝材は地元千葉のローカル新聞を丸めたヤツ」で送られてきてたんですよ商品が。

そのコストカットぶりに、正直「ああ、安くするために削れるところは削ってるんだなぁ」「これ社長は関西人かなぁ」などと思ってました(じつは東京生まれらしいんですけどね)。

一時、よく「サウンドハウスのせいで各地の小さな楽器屋がツブされてる!」みたいな話を見聞きしましたが、私は「いやいや、それはサウンドハウスの企業努力がスゴイだけで、悪者にしちゃダメだって!」と反論してたことを思い出します。

もちろん、サウンドハウスのすべてを肯定するわけではありませんけど、立ち上がったころの様子を(間接的ですが)知っていると「その努力と根性に」敬意を表さずにはおれないのです。

…まあ時代は変わってゆくものですから、そんな働き方がいまにそぐわないのも理解できますし、「禁句」だという「昔の時代は良かった!」の言葉が出てしまうのも分かりますけどね。

とにかく「ともに仕事をする仲間たち」が「励まし合って頑張った」精神は、できれば「前世紀の遺物にならないでほしい」と願っています。

 

 

なんかサウンドハウスの話ばっかりしちゃいましたが「あくまちゃん」。今月は「表紙&巻頭カラー」の大フィーチャーですが、それに見合った良い回でした。

ヒネた見方をすると、こういう「よくがんばった表彰」って、資本家が労働者を「よりがんばらせるためのアメ」なのかもしれませんけど、そこそこ過酷な職場においては「労働」と「給料」だけの関係ではなく、ほんの少しでも「気は心」というプラスは大事だと思います。思いたいです。

あと、コンビニでも飲食店でも…あらゆる業種で「客と店員がいい意味で対等」なのはとても重要なことです。店も客も「店員は客の奴隷じゃない!」と認識すべきです。当然「お客様は神様じゃない」ということも、です。雇用している経営者側が「雇っている労働者を客の奴隷にする」なんてもってのほか。そういうことをしていると「奴隷扱いしたい」「神様扱いされたい」という「お客様といえない客」ばかり来るようになっちゃいますよ(誰に言ってる?

ああ書きたいことはまだまだあるけどどんどん脱線するのでここらへんでやめます。ともあれとても良いお話でした。最後のページ、イレイナのモノローグとかちょっと感動しちゃうよねー。うんうん。いいハナシ。