ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

丁度良いと「気配り」なのに、過剰になると「気の使い過ぎ」、足りないと「気が利かない」ってヤツになるんですよねー。

「瑠東さんには敵いません!」by 相崎うたう まんがタイムきららMAX 2023年6月号p102 芳文社

 

「人目を気にする」ってどちらかというと悪い意味で使われがちですけど、「社会性に長けている」と見ることも出来る気がします。よく言う「空気が読める」というのにも似てるかな。

もちろん「人目」も「空気」も正しく推察出来てないと、望ましい対処とは正反対の行動を取ってしまったり、過剰反応したり、よろしくない結果につながります。

それでも、人間同士の付き合い…特に多くの人がいる場では、そこでの「望ましい振る舞い方」を察して、己の行動をコントロールできる方がよろしいのかなと…。

一方、一対一とか小人数では「言葉のウラ」や「行間」を汲み取ることが求められやすいかもしれません。

ちょっと無理やり話をつなぎますが、私が卒論のテーマに選んだヴァーグナーの「ワルキューレ」は、そういう「口にした言葉とは裏腹な本心」を察して行動するシーンがあります。

話が長いので大幅に端折りますが、ヴォータンという神(ギリシア神話だとゼウスに相当)が、娘のブリュンヒルデに「決闘するジークムント(ヴォータンが人間に産ませた英雄)に敗北(死)を」と命じたのに、彼女はジークムントを勝たせようとします(結局死ぬのですが…)。

父神ヴォータンは娘の行動に怒り狂うのですが、ブリュンヒルデは「父上の本心はジークムントを勝たせることだった」と答えます。

「本心を察しての行動」は日本文化ではさほど珍しくはないでしょうけど、欧米人にはあまり「察する文化」は無いといわれてますよね。でもこの作品では「言葉に従うより心を汲むこと」が描かれています。

私の卒論のテーマは違うところにフォーカスしていたので、ここらへんは特に掘り下げていなかったのですが、いま「ニョーボとムスメ持ち」になってみると、実に興味深いシーンではありますね。

ともあれ「歯に衣着せぬ言動」も「奥歯に物が挟まった言動(あるいは上滑りした美辞麗句)」も、人間関係を円滑にするには正しくないようです。面倒と感じる人もいるかもしれませんが、相手の感情の機微をしっかりと捉えて応対することは(正しくできれば)とても良いものだと思います。

偏見かもしれませんが、コミュニケーションが下手な(コミュ障などといわれる)人は、そういう「心を汲むこと」での失敗を引きずっているのかなと思ったり。

ならばやはり解決の糸口になるのは「人の気持ちを察する」トレーニングなのかもしれませんね。

 

 

…うーむ、下手にヴァーグナーの話なんて挟むもんだから、文章がとっ散らかっちゃったなぁ。ま、しゃーない…というわけで「瑠東さん」。このごろはコミュニケーションが上手くないと、すぐ精神的な問題だとか発達障害だとかに持っていかれがちですが、私は必ずしもそういうんじゃないんではなかろうか…と思ってたりします。

何の歌かすぐ思い出せないのですが「人の心にのぞき穴がついていればいいのに」みたいな歌の文句がありました。でも「のぞけないから察する」ことで、コミュニケーションが深くなるんじゃないでしょうかね。

だから和村ちゃんみたいな人は(本人にしてみれば大変なんだろうけど)上滑りしない人間関係が築けそうです。そしてそれはたぶんとても良いことだと思うのです。瑠東さんが和村ちゃんに懐くのは、きっとそういうところなんだろうなって感じます。