ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

日々の食事でもそうなんですが、真剣に味わうことを大切にしたいものです。

f:id:tanaka-minoru-fake:20210908070051j:plain

「新婚のいろはさん」by ÖYSTER まんがタウン 2021年10月号p48 双葉社

 

独身一人暮らしのころ、健康面に配慮して毎日野菜ジュースを飲んでいたことがあります。あの160mlくらいの小さい缶のヤツです。

あるときいつもの習慣で、野菜ジュースの段ボールから缶を取り出し、よく見ずに開けてグビッと飲んだんですよ。

一瞬、脳は「いつもの野菜ジュースの味」を感じたんです。そう、確かに口に流れ込んだ液体の味はマチガイなく「一瞬は野菜ジュースだった」はずなんです。「脳の認識」ではね。

次の瞬間、口の中はブラックコーヒーの味で満たされました。以前何かでもらった「野菜ジュースと同じ大きさの缶」の缶コーヒーを、野菜ジュースの段ボールについ入れてしまっていたんですね。で、それを野菜ジュースだと思い込んで口にした…と。

あのときの驚愕たるや、めちゃくちゃ「驚いて」「うろたえて」「何が起きたかを理解しようと慌て」ました。すぐに「何が起きたか」は分かったのですが、あのときの「一瞬脳が思い込みで認識を誤った」経験は、その後の私の「物事の捉え方、考え方」に大きな影響を与えましたね。貴重な体験でした。

 

f:id:tanaka-minoru-fake:20210908070105j:plain

 

ともあれ「いろはさん」。今回はなかなか考えさせられる内容です。同じ食べ物でも「食べ方(食器とか)によって味わいが変わる」ように感じるのは確かですね。

10代の頃、「カップ麺は容器のままお湯を入れず、必ずどんぶりに移して作る」という友人がいました。容器の合成樹脂等による健康への影響を懸念してのことだったと思うのですが、それ以外にも味わいの面でのコダワリがあったのかもしれません。分かりませんが。

食べ物以外では、作中の「スピーカーかヘッドホンか」「映画館か家のテレビか」もなんですけど、個人的にはやはり「紙の本か電子書籍か」に大いにコダワリたいところです。ええもちろん「紙の本」派ですともさ(最終的に自炊して電子化するにしてもね)。

ただ最近は「電子の良さ」もいろいろ感じるようになりました。紙と電子でずいぶん情報の質が違うんですよ。そう考えると「紙へのコダワリ」が見えなくしてるものもあるんだろうなと思ったり…。

さておき…そうか、「香辛料+ひき肉+なす=?」の答えは「ひき肉となすのカレー」でも「マーボーナス」でも正解なんですね。うむ、勉強になりました(笑)。