ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

親が思うほどには、子どもは「うしろを振り返らない」ものですからね。

「よそじとふたごのメシ事情」by 小坂俊史 まんがライフオリジナル 2022年10月号p150 竹書房

 

というより「親に心配され過ぎる」のって、正直「うざったい」と感じる気がします。私はそうでした。

中学を卒業してから、就職するため高校中退を選んで大阪を離れることを決めたとき、祖母がぼろぼろ泣いて「心配だ。行かせとうない」と…そう言われました。当時は同居してなかったので、遠路わざわざ報告に行ったのですけどね。

実は内心「激励してくれるんじゃないか」と思ってました。前にも書いたように時代錯誤的なところのある祖母でしたので、自分の将来を自分で切り開くことを褒めてくれるんじゃないかってね。

あのときは本当にどういう反応をすべきか困ったのですが…どう答えたかはよく覚えてませんが「もう決まったこと(決めたこと)」だと納得してもらいました。いや納得してたかどうかは分かりませんけども。

偏見かもしれませんが、母親にしろ祖母にしろ「女親は子どもが自分のそばから離れるのを止めたがる」気がします。止めてどうなるのでもないのですけど、ひき止めたがる。ときには涙という武器も使いながら。

男親は「行ってこい。でも本当に困ったときは連絡しろ」というスタンスじゃないかな。いえまあ「ひとそれぞれ」ですけどね。

ただ間違いないのは「頑張ってこい!」と背中を叩いて送り出される方が、気分良く走り出せるということです。正直あの祖母の涙は、私にとっては「高μ(大きなフリクション)な」ものでしたし、結局健康上の理由もあって仕事は辞めてしまうのですが、その辞めるときに「この仕事につくことを祖母も反対していた」という記憶が「もう少し頑張って続けよう」という気持ちをスポイルしたのは、恥ずかしながら事実ですから。

 

 

さておき「よそふたメシ」。卒乳ねー。大変な子は大変だし、あっさり卒乳できる子もいるし、それこそ「ひとそれぞれ」ですよね。うちは上の子の方があっさりだったかな。ええもうずいぶん昔のことなのでおぼろげではありますが、母乳だったので「乳房に絵」、描きましたとも(笑)。

「卒乳の時期」は「自己と他者の区別が付きはじめる時期」でもあって、親に抱っこされて乳を飲むことが「あたりまえにできることではなくなる」ということを受け入れるのにいいタイミングなのかもしれません。よくわかりませんがそんな気がします。

ともあれ、ふたごの成長を読むたび「あーウチもそーだったー」もあれば「へーそういうのもあるんだー」もあるこの作品です。どんどん本格的な「メシ事情」になってくるのを楽しみにしています。