ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

「天使のような子」のまま大人になれなくても、周囲にハッピーを振りまいたことがあるだけで十分だと思います。

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「またぞろ。」by 幌田 まんがタイムきららキャラット 2022年3月号p104 芳文社

 

「生きること」には「悲しみや苦しみがついてまわる」のがいわば宿命なわけですから、どれほど天使のようなメンタリティの人でも、やがて世知辛いこの世界との折り合いの付け方を覚えていくはず。それは悪いことだとも言えない。

一番大事なことは、たとえほんのちょっとの間であっても「天使のような存在」だったことで、それに接した人たちの心に「リアルにも天使のような人がいた」と感じる経験を残したということだと思います。

その小さな経験が「世の中捨てたもんじゃない」という気持ちにつながれば、未来に起こる不幸な出来事を止められるかもしれない。

京アニや大阪のクリニックの事件も、犯人に関する報道を見る限り「世の中捨てたもんじゃない」と感じる経験が無かったような気がします。不幸な人生で世の中を憎むようになった彼らに、何かの巡り合わせで天使のような人との接触があったなら…と思わずにはおれないのです。

…うん、そりゃあ「お花畑だね」と言われても仕方ないけどね。でもそう思うのは確かだからさ。

 

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なんかよくわからない話をしてしまいましたが「またぞろ。」。

「天使のような」殊さんは「どうしようもない」殊さんになってしまったけど、それでもみんなに「天使のような」子だと感じさせたから、それだけで「ヨシ!」なんですよきっと。

ぐねぐね感が続いた麻里矢さんとの一連のお話も一段落…なのかな?

…そうか、この作品は「ぐねぐね」感が魅力なのかも。だってそういうのって「この先のぐねぐねはどんなだろう」と気になりますもんね。