ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

たった一度ですが、日本トップオケの方とアンサンブル曲を演奏したことがあります。自分の「演奏力」が大きく変わった経験でした。

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らいか・デイズ」by むんこ まんがホーム 2019年9月号 p10 芳文社

 

演奏会とかではなく、クリニックの終盤に「なにか演ってみたい曲はありますか?」とおっしゃられたので、思わず愛聴・愛奏曲の楽譜を手に「お願いしますっ!」と。

器楽四重奏曲で、当然トップはその方。私はセカンド。4人が半円を描く配置だったのですが、トップとセカンドが両端で向かい合うような感じで並びました。

もう15年近く前のことで、ましてそのときは緊張やらなにやらで記憶がとんでるところもあるのですが、何のほころびも無い安定した演奏のなかに「感情」がこもっていて、表出する音に「表情」が感じられたのが、まさに衝撃的でした。

それまでにも何度かクリニックで「言葉での指導」や「演奏の指導」はいただいていて、その一つひとつはとても貴重な「学び」だったのですが、「『本物に触れる』とはこういうことか!」と一緒に演奏して強く強く感じたのでした。

その後、その経験で変わったことは「どんなパート(トップでもセカンドでもサードでも)を演るときも『主旋律だという意識で』演奏する」ようになったことです。ロングトーンもキザみもウラ打ちも、全部「これは主旋律だ」と。そういう思いで演奏することで、出す音に「感情がこもり」「表情がつき」豊かな音楽になる。たとえ「機械的なフレーズ」を「機械的に表現する」場合でも、その意識をもつことで、豊かな音楽を全体で作り上げることができる。

誤解があるといけないのですが、決して強弱やヴィブラートや、いわゆる大げさな表現をつけるということではないのです。自分のパート譜に書かれている音譜が、その曲でどういう役割を担っているか、そこに求められる感情を「主旋律と同等の重み」で読み取り演奏する。うまく言えませんが、そういうことです。

長くなるのでここらへんにしますが(そもそも文章にしても表現しきれないし)、あのとき「楽譜をもっていて」、勇気を出して「この曲を演りたいのでお願いします」と言えたことが、なにものにも代え難い貴重な経験につながったと思うと、本当に自分は幸運だったなあといまも感じています。

 

そんなこんなで「ゆうみ・デイズ」。長寿作品だけにキャラの数も多いのですが、バランスよく出演者の「重心」が動いていくのは、作者さんのセンスのすごさだと最近感じるようになりました。作品って、主人公だけで作られてるわけじゃないですね。

ふとウィキペディアをみたら、この悠美ちゃんの名前はエリック・サティの演奏者として有名な高橋悠治さんからなんですね。なるほど。

私自身はサティを演奏したことはありませんが、一時期耳にする機会が多かったので、確か1枚はCDを買ったはず。これも機会なので久しぶりに聴いてみよう。さて、どこへやったかな?…物置のダンボールジャングルを探検せねばならぬのか(ぐぅっっ)。