ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

「好きか嫌いか」と「良いか悪いか」。個人的には「自分ならどっち?他人に勧めるならどっち?」という尺度がケッコウ大事です。

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「良倉先生の承認欲求」by G3井田 まんがタイム 2019年5月号 p59 芳文社

 

「自分がどうしたいか?」「自分はどう思うか?」って、いとも簡単に見失うことが多いんじゃないでしょうか。少なくとも私はそうです。そうでした。

ただ、年を取ってくると、自分のなかに「二通りの方向性」が出てきています。これまでの経験知とか、積み重ねてきたことで見えてくる高い視点とか、いわば「年長者の自分が身につけてきた評価力」に応じる選択と、もうひとつは「自分のなかのよりプリミティブなセンサーが好むもの」に従う選択と、です。

自分が自分のために選択するのなら、悩みながらでも「自分への責任」で済むのですからまだいいのです。失敗もあって当然。良い方より好きな方を選んで、マズったかなぁと思うことがあっても、満足できますからね。

一方、自分以外の誰かから「これどう?」って訊かれたときは、なかなか難しいものがあります。そんなときの答えかたとして、最近は「私があなたに勧めるのはソチラ。私が自分のために選ぶならコチラ。」というような、二種類の回答をするようになりました。要は「良い方を勧めながら、好きな方も教える。」とでも言いましょうか。

「良い方を選んでも、好きになれないとNG」だと思います。でも「好きな方を選べば、良くなくてもオーライ!」なんじゃないでしょうかね?たぶんそうです。

いまふと思ったんですが、私の周囲には「結婚しないつもり」の人がそこそこの数いたりします。けれどそういう人って、たまに私に「結婚って、どう?(して良かった?)」と訊いてくることがあるんですが、大抵(相手によるので常にではないですが)「結婚は…しなくて良いと思うよ。」と答えます。するとほぼ全員が「じゃあ何でラクダは結婚したの?」と訊いてくるのです。それに対する私の答えは…いわずもがな、ですね。

実際のところ、いまの家内がこの世に存在していなくて、あのころの自分自身をとります状況が違っていれば、私は「結婚しない方が良い」と思っています。相手とか環境とかが、偶然「結婚しよう」と思えるようなめぐりあわせだったから結婚しただけで、あの頃にタイプスリップしたとして、家内と、自分の周囲が、もし違っていたら、独身でいた方が良いと思うし、そうしていたでしょう。

 

まあそういう話は長くなるのでこのへんで…で、承認欲求。この作者さんは前から知っていますが、ヒトコマ取り上げるのは初ですね。

ときどき「作品(の良し悪し)と作者(の人間性の良し悪し)は別。一緒くたに評価してはいけない」などと言われます。作品を「良い」と言ってもらうより、「好き」と言ってもらう方がウレシイんじゃないでしょうか。少なくとも私はそうですね。

テクニカルな作品は「良い」ことが求められ、作者も「より良いものを生み出そう」と頑張ると思うのですが、クリエイティブな作品は「好き」の「共有」が、作者への評価と次の作品への原動力になる気がします。もちろんテクニカルであることを軽視するつもりはありません。むしろテクニカルな部分が、クリエイティブな「情動」を「作品」として仕上げる上では、とても重要だと認識していますから。

で、やっぱり「自分の好きを形にした『作品を好きになってくれること」は、作者にとっては一番の賞賛となる。作品と作者は「好き」の複合体で、それを受け取る側でも「好き」が共有できれば、それはとても素敵なことだと思うのです。

そこで重要なのは「好き」を発信して、共有するのを「現実に行うこと」。それはSNSでもできなくはない。いや、「好き」の発信手段には「現代でベスト」かもしれない。だけど「直接作者に伝える好き」は「常に最強」だと思うのです。

蛇足ですが「嫌い」は共有する(発信する)必要は無いんじゃないかなぁ。だって作者と作品の複合体には「嫌い」が存在することはあり得ないんだから。

あと作者さんのペンネームって、RCサクセションの「Gee2wo」さんとか「新井田耕造」さんと関係あるんでしょうか?なんか「G2」と「新井田」が合体しているような気が…。