ヒトコマラクダの日記

日々読みふける4コマ誌から1コマ引用して日記にします。基本は「自分語り」ですのでご承知おきください。

子どものこころを持ち続けていると、世の中って生き辛いなぁって感じるものなんですよ。たぶん。きっと。

「恐竜とカッパのいる図書室」by 相澤いくえ まんがタウン 2023年3月号p166 双葉社

 

小さなものでも大きく感じるし、大きいものはもっと大きくなって迫ってくるし。

でも、大抵は「大人の身体に大人のこころ」を持つようになるので、そういう気持ちが分からなくなってしまっているんだと思います。

もちろん、大人になることは「大人らしく=大人しく」なることで、それは間違いではない。反対に子どものままでいることは「稚児(ややこ)らしい=ややこしい」ヒトになるので正しくないかもしれません。ええ、ワタシはそう思うのです。

なので、人生を面倒にしない生き方は「大人になれば大人らしく」の方がよろしい。でも、どうしても子どものこころを失くせないヒトもいるわけで、そういうヒトは確かに「創作方面」に進みやすいのかもしれません。ええ、ワタシはそう思うのです。

でも、創作方面に進んで、この世に新たなナニカを生み出せるヒトは、まだイイのです。厄介なのは「ただただややこしいだけのヒト」だと思います。まあ具体的に誰かをあげるのは控えますが、個人的には一部のリベラル思想の方々にそういうのが見受けられるような…いやヤメとこう。踏み込み過ぎそうだ。

 

 

タウンの過去号って、どういうタイミングの加減か、自炊してなくて積んであったのが何冊かありまして、今日もそこから「とのいる」です。ふふ、あえて「はがない」式の略し方してみました(笑)。

この作者さん、前作からヒトコマお借りしたことはあるんですが、タウン以外ではあまりお見掛けしないものですから、マーク薄めではありました。この作品も4コマじゃないですしね。

でも、シンプルな画柄や個性的な表現など、かなりスキな部類ではあります。基本的に「心理描写を重視する」傾向ですよね。今回お借りしたコマの上に、あと2コマ描かれてるんですが、司書のセンセイがしゃべっているフキダシが並んでいる背景に恐竜(?)のホネが描かれているだけなんですよ。なんだろう、この表現。感じるものはあるんですが、それが正しく作者さんの意図として受け止められているのか。そういう不安感のようなものも感じさせるんです。

正直、スキとかキライとか以前の、表現者の気持ちを尊重して受け止める気持ちにさせる…そういう作品を送り出してくる気がします。うん、まあ、スキなんですけどね。スキです。

そうそう、先週この作品の単行本が出ました。表紙のカオリが着ているワイシャツが、男物のようなんですが、何か意味があるのかなと深読みしてしまいました。

「いりこ文化圏」で生まれ育ちましたが、ほぼほぼ同じでありながらも微妙な違いはある気がします。

「ホントはダシたい山車さん」by 佐野妙 まんがタウン 2023年8月号p58 双葉社

 

西日本でも地方レベル、県レベル、市町村レベル、果てはそれぞれの家で違ってくるでしょうけど、ワタシ個人は「いりこ=そのまま使う」「煮干し=アタマ(とワタ)を取って使う」ようなコトバの感触をもってます。

大きさとかも関係するんでしょうが、どちらかというと「アタマを取るか取らないか」がポイントかなぁ。ええワタシ個人の主観です。説明を求められても答えられない程度の根拠です。

いりこに限らず、昆布もかつおぶしも、出汁を取るときは「煮立たせない」が鉄則だといいますよね。でも我が実家方面では、いりこはケッコウ煮立たせていた気がします。そして出汁ガラはすくい出したりせず、一緒に食べてました。…ああ、そういう点からいくと「煮干しはエグ味が強くなるから、すくい出すか、そのまま入れていてもあまり食べなかった」ような記憶がありますね。それも違いといえば違いではあります。くどいようですがあくまでワタシ(&我が実家系)のハナシです。

そういえば、みなさん「シジミの身」って食べます?ミソ汁とかに入っているヤツ。あれ、出汁をとるためのものだから「食べるもんじゃない」というのを何かで読んだ気がするんですよ。

ワタシは…食べます!(笑)だってもったいないし。確かにちまちまカラから拾いあげてると、メンドクサイしまあもういっかーて気持ちになることもありますけど、何となく「大事な微量栄養素」があの小さな身に残っている気がするんですよね。…いえ、根拠は無いです。そんな栄養素なんて残ってないかもしれませんです。

ともあれ、オイシイ出汁を取って、しかも出汁ガラにも栄養があると思えば、あの小さなカタクチイワシシジミも、そして昆布やかつおぶしも、なるべく無駄にしないように、大切に食べて(自分の血肉として)生かしていければなぁと思います。

 

 

さておき「ホンダシ」。そして例によって過去号からのヒトコマ。タウン休刊もあってヒトコマお借りする機会も無かった作品です。

読み返してみると「出汁ネタ」と「ラブコメ」のバランスが絶妙な作品でしたね。休刊と同時に最終回でしたが…移籍継続してもらえればウレシかったな。でもそこらへんもバランスの良さというヤツかもしれません。

今回ヒトコマではお借りしませんでしたが、山車さんの「料理は簡単であれば簡単であるほどいい」というコトバが刺さりました。いりこやら何やらで出汁を取るのって、ちょっぴり「手間は掛かる」けど、それ自体は「簡単」なんですよね。そう考えると「ムズカシイ料理をインスタントな出汁を使って作る」より山車さんの「簡単だけどちゃんと出汁を取った料理」の方がステキだと思います。

そうそう、煮干し選びのコツで「イワシのクチが大きく開いているもの」というのは初めて知りました。うん、この知識は人生にすごくプラスになると思いますね。

フワフワモフモフした感触と、生きものだからこその温もりが無いとね。

「ルナナナ」by 小坂俊史 まんがタウン 2023年2月号p141 双葉社

 

見た目がカワイイのも大事ですが、やっぱり「触感」が大きい要素だと思います。

ペットはインコを飼ってました。カゴから出してあげるときに、指にチョコンと乗ってくるあの「温かい重さ」がスキでした。カゴの扉をくぐるまで、じっとしてるんですよね。で、外に出たと思ったら、まず鳴き声と動作で「一旦カゴの上に置けー!」って主張します。

カゴに乗せると、そこらへんあちこちをかじったりして遊び、それに飽きたらやっと部屋の中を飛び回るという感じでした。そういえばカゴの上にいるうちにフンをしてたかも。飛び回ってフンをまき散らさないための「お出かけ前のトイレ」だったのかもしれません…違うかもしれませんが。

カーテンレールの上でひとしきり騒いだら、ようやく肩に乗ってきて耳やらまぶたやらを甘噛みして遊んでた覚えがあります。あまり痛い思いはしなかったので、そこんとこはイイこでしたねー。

 

 

長くなりそうなので、ここらで「ルナナナ」。作品どころか掲載誌が終わって(休刊して)しまいました。いまさら何を言っても仕方ありませんが、とても残念です。

いま作者さんの作品を読めるのは…ライオリだけなのかな?タイム系への再登場をお願いしたいなぁ。

フローリングっていってもピンキリですからねぇ。

「可愛い上司を困らせたい」by タチバナロク まんがタイムオリジナル 2023年12月号p17 芳文社

 

15~6年くらい前だったか、自分の足の裏で「無垢材の床」と「突板(表面だけ薄い板を貼った材)の床」を違いを実感したことがあります。

相当広い…100畳以上はあろうかという板張りの部屋での経験です。その部屋は床の板が途中で違っているという、ちょっと変わった造りになってました。入口から靴を脱いで、靴下のままで部屋に入ります。途中までの床は「練り付け」というヤツで、表面数ミリだけが、いわゆる「銘木」が貼り付けられたもの。そこを特に意識することなく歩いていきました。

そして半分くらいのところから、明らかに材が違っていて「ここまではコストの関係で練り付けになってしまいましたが、ここからは無垢ですから」という説明をぼんやり聞き流しながら歩いて、その「無垢張り」の床に一歩踏み込んだ瞬間…「うぉ?」と声が出ました。「な、なんだこれ!?」というくらい、靴下越しの床の感触、伝わる木のあたたかさが違ったんですよ。いま思い出しても不思議なくらいハッキリ違いを感じ取れました。

それまで、木工とかの取材で「木のぬくもり」なんて言葉を聞き、自分でもニュース原稿に書いてましたが、実はよく解ってなかった。ワタシが本当の「木のぬくもり」を感じたのは、あのときの「足の裏と無垢材の床との邂逅」だったんですよね。

それ以来、木材の良し悪し、無垢材へのこだわり、そういうものにお金をかける人の気持ちが分かるようになりました。いや、ワタシ自身はそこまでコストを注ぎ込むことはできませんので、分かったような気になっているだけかもしれませんが…。

もちろん技術というヤツは「日進月歩」ですので、ローコストな突板でも昔とは比べ物にならないほどクオリティは上がっているとは思います。でも、どんなに頑張っても「無垢材の木のぬくもり」には敵わないんじゃないかなぁ。ワタシはいまもそう思っています。

 

 

さておき今日も過去号からで「かわこま」。ワタシもやりましたねー、クッションフロア貼り。あれ意外とムズカシイんですよ。キレイに貼ったつもりでも、しばらくするとフチのところが反り返るように浮いてきたりしてねー。

ワタシの場合はそれほど広くはなかったので、結局ひとりで作業をしましたけど、リビング全体とか広いスペースだと確かに重労働で大仕事です。

賃貸なので原状復旧を見越して両面テープってやり方になるんでしょうけど、あの両面テープってのもけっこうピンキリなんですよね。イイものは高いです。ケチっちゃダメです。

ともあれ、大仕事も「二人の大切な思い出」になると思えば楽しいもの。でも詩織さんにはとんだトバッチリ(?)。ヒトコト言いたくなるのも分かります…いやまあお疲れさまでした(笑)。

えー?5時に目が覚めるとおじいちゃんなのー?

「ヲトメは義母に恋してる」by 桐原小鳥 まんがホーム 2023年4月号p18 芳文社

 

いやまあ世の一般的には…早くても6時って感じなんでしょうかねぇ。田舎の「時報のメロディー」が流れるのって、朝は6時が多いようですし。

それでも、5時はまだセーフじゃないですか?…え、もう完全におじいちゃんですかそうですか。

一時は21時前に寝て3時頃に起きる生活をしてたくらいなんですが、やっぱりハタから見れば異常な生活サイクルだったのかもね。いや体調面とかからみればケッコウ良かったんですけどねそのサイクル。

 

 

さておき「ヲト恋」。またも終わってしまった作品の過去掲載分から。スキだったんですけどね、この作品すごくね。

最終回とその前数話は、ある意味オーソドックスなところに落ち着いた感があります。結婚への展開がひっくり返るオハナシになるのかとヒヤヒヤしてました。

正直、どういう着地をすればストーリー的にベストだったかは分かりませんし、何か代案があるかと言えば全然無いんですけど、こころのどこかで「ものすごく奇抜な決着」があるんじゃなかろうかと期待してたのは事実です。でもこういうところが作者さんのイイところだとも思ってます。

それにしても、今回の「お父さんモノローグ回」はなかなかスキなオハナシでした。ワタシがオトコということもあるんでしょうけど、それ以上にこういう立場(ムスメをかかえたヤモメ)のキャラに感情が引き寄せられるのかもしれません。

「コスト削減」から「時間の削減」へと社会の要求が変わりつつあるということでしょうか…。

「カワイイだけでは飼えません ~さくらば動物病院カルテ~」by とみた黍 まんがホーム 2023年6月号p115 芳文社

 

コスパ追求」によって淘汰されたモノやシゴトがあるように、これから先は「タイパ追求」主義によって「時間効率が低いアレコレ」が悪モノにされていくのかと思うと、ちょっとコワくなってきます。

「コスト」ってヤツは、人間(社会)が生み出した「通貨」とか「貨幣経済」によって出来上がった観念のようなモノで、それの「対効果」や「効率」を求めるのは、ある意味「必要悪」のような気もするんです。でも「タイム=時間」は「人間の手にはおえない」ものであって、そこに「対効果」や「効率」を求めると、思わぬ大きな「落とし穴」にハマるように思えてなりません。

たとえば「教育」なんかは「必要があってかけるべき時間」があるはず。「学習効率」というのも分かるんですが、それは「試験対策」のようなものであって、本当に身につける「教養」とか「思考する能力」は、多かれ少なかれ「かける時間」が大事なんじゃないかなぁ。

もちろん「タイパを考えること」は必要だと思います。でも「タイパ」という言葉ができてしまったことで、本来「形而上的」な「時間」の概念が、一気に「形而下に引きずり降ろされた」感もあるんですよワタシには。

人間は社会的動物で、その社会や構成する人々が「高タイパや善し」とするなら、一人でその流れに掉さすことはムダかもしれません。でも、いまのワタシには「タイパ」という言葉に違和感がぬぐえないのも事実なんですよね。

 

 

うおー、何か偏ったジジイの妄言みたいな文になってるぞー。最初は「タイパってたい焼きパーティ?」みたいなネタにしようかと思ってたのにー(笑)。ということで今日も過去号からのヒトコマ、先月のブログでもお借りした「カワえません」からです。

実際「コスパ」しか会話等では使わないんです…もうオッサンですから。でもあと1年もすればフツーに会話やブログで使いそうな気もしてます。「時間効率」より使いやすく伝わりやすくなるでしょうねたぶん。

ともあれ、多忙な春シーズンで鍛えられた野地くん。ちょっとずつ成長する場面もあれば、一気に鍛えられて伸びる時期も、そしてスランプもきっとあるでしょうけど、こういうオハナシはスキですね。前向きにガンバるチカラをもらえますから。

例によって単行本されそうにないタイム系の作品のひとつではありますが、毎月楽しみにしています。ぜひ長く続いてほしいものですね。

たとえ「ワルあがき」であっても、足掻くほうを選びたいよね。

「紡ぐ乙女と大正の月」by ちうね まんがタイムきららキャラット 2024年1月号p156 芳文社

 

「足掻くことなく諦めて、力を温存して次の機会を狙う」のも正解かもですが、何となく「諦め悪く足掻く」ことが多い気がします。ええ私の場合は。

もちろん、そういう事態にまで追い込まれる前なら、新しいルートを探してみるのがよろしいとは思います。でも、追い込まれたなら「脱出を試みて」「それでもダメなら戦う」、つまり「足掻く」ほうがいいです。「窮鼠猫を嚙む」と言うように、そこから突破口が開くこともあるはず。

…まあそういうのって「結果として生き残った者の成功バイアス」なんでしょうけどね。分かってるつもりですよ一応。「ワルあがき」をしても、結局その多くが奈落の底に落ちていったであろうこともね。世の中そんなもんです。いやホント。

ああ、何だかヒネた文になってますね。いかんいかん。

でも、ガガガSPの「弱男」の歌詞じゃありませんが「本当にそんな事出来るならば」あえてこんなブログに書くことはないわけで、だからこそ自分を「奮い立たせたり慰めたり」するために「足掻くことや善し!」と繰り返し書きたくなるんだと思います。

ともあれ「足掻くことで何かが変わる」と信じられるメンタルは、死ぬまで大事にしていきたいと、少なくともいまこの瞬間は思っています。

 

 

そして、これもまた最終回を迎えてしまっていた作品の「つむつき」からヒトコマ。「次マン」ノミネートのタイムスリップものとして、読み返すとやはり秀作だなぁと感じます。まあ何かちょっといろいろゴタゴタしてたようなことも聞こえてきますけど、ここらへんからの最終回へのハナシの展開は、個人的にスキです。うるっときそうになります。

このヒトコマのセリフ、紡の母親が言ってるんですが、自分の子どもにコレを言えるのってかなりスゴいことかもなって…。紡に対して「そんなこと訊くなんて…何かあったの?」とかそういうの全然言わずに、ただ「やり直せばいい」と言うのって…スゴくない?ワタシなら絶対「何でそんなこと訊くのか?何があったのか?」と問い詰めずにはおれないはずですから。それがリアルだと思うんですよ。

そう考えると、この作品の魅力は「中途半端なリアリティより、ストーリーの上でキャラをドライブさせることを優先している」ことなのかな。全体を通して読むとなおさらそういう感想に行き着きます。

さておき、作者さんにはご慰労と感謝を、そして次の作品への期待を届けたいです(とどけー!)。